やほほ村

思ったことを書くよ

全国中学・高校ディベート選手権に行ったら思い出したこと

ディベートの大会で、審判としてお手伝いさせてもらった。

いろいろなことを思い出したので、せっかくだし、あとで読んでおもしろがるために書いてみようと思う。

 

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全国中学・高校ディベート選手権。

毎年、2月ぐらいにテーマが発表されて、7月くらいに各地区の大会。各地区の大会で上位だったチームは、8月の全国大会でしのぎを削る。

ディベート甲子園と呼ばれていたりもして、自分の人生と切っても切り離せない存在だったりする。

 

自分は中学1年生の頃にディベート部に入った。なんとなくで。

なんとなくは嘘かもしれなくて、小学生の頃にやった討論の授業が印象に残っていて、ディベートに興味を持ったのかもなとも思う。

いわゆる進学校だったから、高校2年生の夏で部活は終わりになる人が多かった。自分もそうだった。

だから、部活としてディベートをやったのは5年間だった。嬉しかった試合もあれば、悔しかった試合もある。

ただ、もう10年以上も前のことだからなのか。どの試合も、やってよかったなぁと思えている。

そして、これはたぶんすごく幸せなことだろうなと思う。

 

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自分は、ディベートは勝ち負けじゃないよなと思っている。わりと本気で。

だけど、勝てないと悔しいよなとも思う。なんなら、負けた時こそ、ディベートは勝たないとしょうがないだろって言いたくなる。みんなそうかもしれない。

勝てないと悔しいのは、中高生の頃から変わっていないと思う。

 

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「ディベーターとは生き方のことだよ」と、むかし誰かに言われた。

でも、実は誰も言ってなくて、自分が面白いかなと思って誰かに言っただけかもしれない。

 

「すべてを疑ってかかるのがディベーターだよね」と、むかし誰かに言われた。

これははっきりと覚えている。すごく前に全国大会へお手伝いしに行ったとき、中学生の頃から会ってみたいと思っていたディベーターの人に言われた。

 

議論の実験場という言葉を体現している人だった。

その人が出ていた大会は決勝戦の文字起こしを公開していて、日本語が読める人であれば、あとからいつでもその試合内容を知ることができる。

中学生の頃にたまたまそれを読んで、いろいろな年の文字起こしを読んだ。特にその人が出ている年の試合は、自分にとってーーいま思えば何もわかっていなかったんだけどーーすごくおもしろいことが多かった。

他の誰も言っていないことや、やっていないことばかりをやっていた。

 

賛否両論も多かった。だけど、それも含めて、かっこよかった。

その人がやっていたことをマネて、肯定側なのにプランを出さずにやってみたりもした

 

あれからなんとなく、ディベーターというのは生き方のことなんだろうなと思うようになった。

すべてのことを"debatable"だとみなす。すべてのことを他人と議論可能なものだとみなす。

そのような生き方のことなんだろうなと。

 

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自分が手伝わせてもらった全国中学・高校ディベート選手権で行われるディベートは、「アカデミックディベート」、「準備型ディベート」、「policy debate」だとか呼ばれる形式だ。

アメリカで始まったと聞いたことがある。それを福沢諭吉が輸入してきただとかなんだとか。あまり詳しく覚えていないが。

 

もしそれが本当なら、その起源たる土地に日本からディベーターを送り込んでいる(いた?)団体がある。JDAという組織だ。

 

「日米交歓ディベート」と呼ばれるプログラムを主催している。

細かいことは忘れてしまったんだけど、要するに隔年で日本からアメリカに、アメリカから日本にディベーターを送り込んで、異文化の社会で議論をしてきてもらうという内容だ。

 

自分は大学4年生の卒業する春に、その一環でアメリカに行った

 

10日間ほどで、7箇所くらいを回る。

内陸の街に行って、そこから東へ。テキサスへ南下したあとは、西海岸にいって北上。ラフなアメリカ一周の旅。

 

即興ディベートをやらされたり、市民の人たちとの意見交換セミナーに参加させられたり。

もともとは「アメリカは米軍を北東アジアから引き上げるべきである」という論題で準備型ディベートをすると聞かされていた。全然違った。

でも実際のところ、行く前に「たぶん聞いてないことばかりあるだろうから、適宜楽しんでください」と言われていた気もする。なんだか自由で面白かった。

 

英語で議論をしているときよりも、そのあとのビリヤード大会だとか郊外の謎のパブで飲みすぎてゲロっちゃってるときとか、そういう時の方が現地の人たちと心が通じ合っていた気がする。コミュニケーションに言葉が必要な理由とは一体なんなんだろうと少し思った。

 

自分は英語がほとんど話せなくて、一緒に行った樋口くんという人に助けられていた。ただ、話せないなりにアメリカの人たちと楽しくやれたと思うし、思い出がたくさんある。言葉が通じなくてもなんとかなるもんだなと思った。

 

帰国して、カリフォルニアの大学のコーチから連絡が来ていた。

「きみたちが母国語ではない言葉で精一杯伝えようとする姿をみて、自分に自信が持てなかったうちの学生ディベーターが、私もがんばろうと思えたと言っていた。本当にありがとう」

そんな内容だったと思う。

 

そんなことがあるんだ、と思った。ちょっと嬉しかった。

 

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むかし、あるアメリカのディベートコーチが、とある試合の判定を出す際にとても迷ったという話を聞いたことがある。

 

アメリカの農業政策をどうにかするという論題で、片方の非白人チームが、自分の家族がやっている農業の話をしたとか。

 

ちょっと説明すると、そのチームの議論はいわゆるクリティークと呼ばれるタイプのものだ。

要するに「ディベートのあらゆることを疑ってかかってみて、必要となればルールや慣習も無視しちゃおうよ、だって本当はそれらだってdebatableなんだからさ。」という種類のハナシだ。

 

自分が想像するに、その家族の農業のハナシは、既存のディベートの枠組みに対していろいろなチャレンジをしている。

 

個人の体験談を「証拠資料」として扱うということ。

ディベートを通じて、現実世界の何かを変えようとしていること。

論点に番号なんてふらないこと。

 

たぶんもっと色々あるんだけど、とにかくいろいろなことにチャレンジーー異議申し立てーーをしたんだと思う。

 

なんでそんなことするのかを想像してみると、たぶんだけど「よくあるディベートのやり方じゃ自分たちが普段考えていることや今言いたいことを話せないから」なんだと思う。でも想像だから、本当かはわからない。

 

「よくあるディベートでは話せないことって、実はたくさんあるかも?」というハナシは、すこし調べてみると案外たくさん議論されている。

日本語でそれを考えている文章はあまり見かけないんだけど、英語でがんばって調べてみると割と出てくる。

 

すごくわかりやすい例だと、たとえばディベートは議論をすごく構造化して話すことが多いと思う。いわゆる「ラベリング」や「ナンバリング」。

でもそれができるのは類い稀なるトレーニングの結果であって、普段そのような話し方をしない(もしくはなんらかの事情があって上手にできない)人たちからすると、ディベートは少しやりづらいんじゃないかなと思う。

実際ちょっと思い出してみると、ディベートでは、構造化がされていないハナシや構造化できない/すべきでないハナシは、なかなか出てきていない気がする。

 

ただ、もしかしたら、これはディベートだけではなくて「ちゃんとしたやり方で話し合おうね」という場所であれば、世の中どこでだってそうかもしれない。

でも、もっと根本から考えるなら、「ちゃんとしたやり方で」と言ったときの「ちゃんと」って何のことなのか実はよくわからないかもしれない。なんとなく、形式張ってみているだけかもしれない。それが本当にいいことなのか、実はあまり分かっていない気がする

 

ちょっと違う例も考えてみる。

たとえばディベーターが、試合の中で、自分自身が昨日体験した個人的な話をしたとする。

……たぶん、ちょっと評価されづらい。

ジャッジや他の選手も思い当たるような「あるあるネタ」ならいいかもしれないけど、そうじゃなかったら難しいことも多い気がする。

 

でも、なんでそうなんだろうと考えてみる。

普段の会話なら、そんな話も受け入れてみることがある。というか、まあ大体受け入れちゃったりする。

それがどうして、あの壇上では急に突然、目の前にいる「ジャッジ」という人たちに受け入れられないんだろうと考えてみる。

政策の話をしているからなんだろうか。

でも、普段もし政策の話をしていて、親しい誰かが昨日のお昼に駅前で見かけた話をしてきたとして、ディベートの試合でするような対応をするんだろうか。

するかもしれない。でも、しないかもしれない。

 

とにかく、こうやって考えてみることを続けると、ふだんのディベートのやり方では話せない(もしくは、話してもしょうがないとされちゃう)ことが割とあったりする。

 

話せないことがあるということは、ディベートの場には出てこないハナシがあるということになる。

この世の中で一緒に生きている人たちが言っているハナシすべてを、ディベートは受け入れていないということになる。

ディベートには何らかの基準があって、それを満たさないハナシや内容を、ディベートは取り扱えていないことになる。

 

クリティークというのは、こんな考え方をしながら議論を組み立てて、いまのディベートのあり方に異議を唱えるものだと自分は理解している。

ただ、異議を唱えないクリティークもけっこうある。だから、本当は一概に何か言えるわけではない。でも、もとをたどると実はそのようなクリティークも、最初はディベートに異議を申し立てていたんだけど、時間とともにすっかり主流な戦略になっただけだったりする。

 

だからまあ、自分は、たぶん本当に勝手な理解なんだけど、クリティークというのは要するに「これだって本当はディベートじゃない!?」と言って、それまではつまはじきを食らっていたものを壇上に持ってきてしまうハナシなのだと思っている。

 

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クリティークを出されたジャッジは大変だと思う。

従来のディベートのやり方にある種「いちゃもん」をつけてくるのがクリティークだ。

だから、審判はクリティークの評価を迫られた時に、従来のディベートのやり方を評価することになる。

要するに、自分がやってきたことを振り返って考えることを求められる。

 

クリティークを却下するなら、従来のディベートのやり方には問題がないと認めることになる。

クリティークを認めるなら、従来のディベートのやり方には問題があったと認めることになる。

 

濃淡はあるけど、大体この二択を迫られる。

なぜかというと、クリティークをやる側がめちゃくちゃな覚悟をキメちゃってることが多いからだ。

クリティークをやる側は、ディベート仲間の間で波乱を起こしたりだとか、チャレンジが認められずにあっさり負けちゃったりだとか、そういうことに覚悟を持ったうえでやっていることが多い。なぜならクリティークは、それをやる人たちにとって大切な何かを守るためのものだったりするからだ。

 

いずれにせよ、とにかく、覚悟をキメてくることが多い。

だから、ジャッジが白黒つけざるを得ない試合になることが割とある。

 

そうなると、初めてクリティークのジャッジをするとき、ジャッジは、自分がやってきたディベートの一部を否定することを迫られる場合がある。

自分がどう証拠資料を扱ってきたか。

自分がどんな議論をしてきたか。

自分がどんなときに「この試合は勝てる」と思ってきたか。

そういうことに、クリティークが「いちゃもん」をつけてくる。

 

クリティークを評価するということは、下手すると、ディベートと付き合ってきた自分の歴史の一部に、「それってホントは間違っていたよね」って言ってあげることだったりする。

 

だからクリティークは出す方も出される方も、大変だったりする。

 

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農業の話にもどる。

 

農業の試合で出たクリティークは、アメリカの農業経済が人種差別といかに結びついてしまっているかを、ある種「告発」するような内容だったとか。

そしてそれを、よくあるディベートのやり方では認められづらい「個人の体験談」として、非白人から出すものだった。

 

パブリックな場所で、「人種的なマイノリティに属する人」が、差別を根幹に抱える経済体制を指摘して、しかもそれを自分自身の体験として話すというのは、すごく重大なことだ。

自分の「マイノリティとしての属性」を背負って、その体験を、ディベート大会という場所で、ある種すこしルールから逸脱した形で話す。想像するに、すごくしんどいことに思える。

 

「ふつう」のディベートのやり方では、この「議論」が「評価」されることはたぶんない。

 

そのコーチはすごく悩んだ挙げ句、クリティークを出したチームに票を入れたらしい。

そして、そのとき、公衆の面前で、いまのディベートのやり方をなにか否定したうえで、その目の前の人の「体験」を認めたんだと思う。

アメリカの社会が抱える問題を、目の前で起きている「現実」のハナシとして認めたんだと思う。

 

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そのコーチのことばで、とにかく印象に残っているものがある。

 

その人はそのあと、他のジャッジから、あの試合でクリティークに投じるのは甘すぎると言われたらしい。

ただ、本人はそれでも

「あのとき、あの試合で、あのチームに票をいれなかったら、自分がなぜディベートの審判をしているのか分からない」

と言っていた。

 

このことが、なんだかずっと忘れられないでいる。

 

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すごくむかし、中学生の頃。今でも覚えていることがある。

 

地区大会の決勝戦。ペットショップをなくすべきかというテーマだった。

自分は否定側だった。

 

肯定側立論は、立論の人が飼っているペットの話をたぶん30秒くらい、していた。

シュートくんという名前の犬を飼っているという話だった。

けっこう長く話していたと思う。

 

でも、判定にどうつながるかわからなかった。

そういうことを反論で言ったかどうかは覚えていない。でも、チームのみんなと「このハナシ関係なくね?」と言ってたと思うし、家にいる犬の話なんかしてもしょうがないじゃんって思ってたと思う。

 

確実なのは、犬の話があって、自分はそれをとりあえず無視したということで、そのことだけは覚えている。

 

そして、それでよかったのかなあって、思うことがある。

 

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自分は大会でクリティークをやったことがある。

 

クリティークは、いまのディベートのやり方に「これおかしいだろ!」と異議を唱える。だから、角が立つこともある。

 

やるとなると、ちょっと尻込みすることもあった。

大会が終わってからも、自分の出したクリティークについてtwitterなんかで議論され続けることがあった。

準備段階でいろいろなことがあって、試合でもいろいろなことを言って言われて、終わった後もいろいろなことがあって、良い思い出だなぁなんてたぶんなかなか思えないこともたくさんあって。

 

でも、自分が出したクリティークで、救われたとか、後押しされて家族に意見を伝えられたとか、これからもやってみてほしいとか、そういうことを言ってもらったことだってある。

 

ただ、もちろん、自分が出したクリティークで傷ついたとか、何も変わらないよとか、面白くないよとか、私は認めないとか、大会でやるなとかも言われたことがある。

 

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自分はたくさんのことをディベートから得てきたと思う。楽しい思い出も、苦しい思い出も。大切なつながりや、むずかしい教訓、いまだに消化しきれないこと。

いろいろなことがあった。

 

そんな自分からしたら、ディベートの壇上はいつだって、自分が普段生きている世界と地続きだった。

これは別に、クリティークに限らないと思う。

自分が試合で、講評で、準備で話した内容は、すべて誰かの生活や考えに影響してきたんだと思う。

だれかが試合で、講評で、準備で話した内容が、すべて自分の生活や考えに影響してきたんだと思う。

別にどこに書かれて、どこで話されようが、ことばはことばだったと思う。

 

壇上で話すことをいろいろな人が聞きにきて、何かを持って帰る。

選手もジャッジも聴衆も、みんなが、たぶん、試合を通じて何かを得たり失ったりしている。

 

自分が中高生の頃から、それはそうだったんだと思う。

ことしの全国中学・高校ディベート選手権だって、それはそうだったんだと思う。

 

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最後に出たディベート甲子園の、夜のことを覚えている。

 

翌日に向けて試合の準備をしていた。

原稿の微調整をしてみるとか、最後の最後にもう一度資料を探してみるとか。

 

でも、はやく試合がしたかった。なんでか分からないけどすごく楽しくて。

負けたらすごく悔しいんだろうけど、それでも誰かと明日、議論できることがすごく楽しみだった。

 

なんかわからないけど、すごく楽しかった。

 

顧問にそのことを言ってみたら、「最後にそう思えてよかったんじゃないかな」とか、そんなことを言われた覚えがある。

 

単にハイになってただけなのかもしれないんだけど、ハイでもいいから、そう思えてよかったなと思う。

 

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いろんなことがあったなと思う。

ディベートはやっぱり、おもしろいなと思う。