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クリティークってなに!?~よくわかるクリティーク解説~

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準備型ディベート(academic debate/policy debate)におけるクリティークの作成や反論、判定のための基本知識をまとめました!

3要素から反論の基本まで、網羅的なガイドです。

 
各セクションでは最後にまとめをつけています細かいことが分からなくても、いったんはそこを理解すれば試合ができるはずです!
 
それでは楽しんでいきましょう!!!なお、質問があったらこちらまでDMを送ってください!時間のある時にのんびり返事をしようと思います。
 
長い記事ですが、以下の目次から興味のあるところや必要な部分を読んでみてください。もちろん全部読んでいただいてもかまいません!
 
なお、脚注にかなり力を入れています。脚注もぜひ読んでみてください!
 
なお、この記事は、CoDA全日本NEWS上で2020年10月から連載された「クリティーク解説」を筆者(CoDAジャッジの佐藤可奈留)が大幅に再編、加筆したものです。
 
 

 

 

 

1. クリティークってなんだ??

普段のディベートの試合でみなさんはこんなことを議論すると思います。
「飲食店の全面禁煙化により国民の健康を守ろう」 *1
最低賃金の引き上げによって貧困を縮小させよう」 *2
「解雇規制を緩めて経済を活性化させよう」*3
 
では、こういったことはどうでしょう。
「健康という概念が社会の在り方を歪める。だから健康を守ろうという物言いは認めるべきでない」*4
「メディアは最低賃金をいつも生活保護と共に語ってきた。そこには『働かざるもの食うべからず』という意識がある。我々は、社会のその暗黙の了解に反対するためにこの場で論題を否定する」 *5
「解雇規制緩和の根底にある考え方こそが派遣切りや生活保護切り下げを招き、日本を瓦解させた。この考え方もろとも、解雇規制緩和を拒否すべきだ」*6


こうした「メリット・デメリット方式のディベートから逸脱するタイプの議論」を「クリティーク(kritik)」と呼びます
これらの議論は、ある政策を導入した際の影響を直接論じるものではないため、いわゆるメリット・デメリット方式のディベートでは扱いづらい類のものです。
 
近年、CoDAやJDAが主催する日本語ディベートの大会ではクリティークを出すチームが増えており、何度も勝利し、優勝もしています。というわけで、今回の解説が書かれています。
 
 
このセクションのまとめ
「クリティーク(Kritik)」=「メリット・デメリット方式のディベートから逸脱するタイプの議論」
 

2. 具体的にはどんな議論があるの??

さて、「メリット・デメリット方式のディベートから逸脱する」などと格好良く言ってみたはいいものの、具体的には何を議論するのでしょうか。
 
ここではクリティークをいくつかのカテゴリに分類して、順番に解説していこうと思います!
 
……と言いたいところなのですが、残念ながらクリティークを分類して出し尽くすことは不可能です
なぜなら「メリット・デメリットから逸脱」していれば、どんなものであってもそれはクリティークであり、そうであるならばクリティークは無限の可能性を秘めているからです*7
冒頭でいくつか挙げた例も、kritikのほんの一部に過ぎません。
 
ただ、そう言って何も書かないのもアレなので、今回は2020年時点で代表的なものをいくつか紹介します!*8
クリティークが盛んなアメリカで、実際に試合に出される頻度が高い順にいきましょう。
 

2-1. 相手の議論の内容について論じるもの

相手の議論の分析方法や隠れた前提、基盤となる価値観について論じます
 
例えば今年のCoDA論題であるクォータ制の導入是非について、相手の分析が全て「男/女」という二元論的な観念に基づいている場合、「相手の主張はセクシュアルマイノリティをあたかも存在しないかのように扱うことで政治から排除する分析方法に則っているために認めるべきではない」と主張できます*9
 
また、難民認定基準の緩和の是非を問う論題の例も分かりやすいでしょう。
肯定側の議論としては「認定基準を緩和し、多くの難民を受け入れることでより多くの人命を保護しよう」という主張が主流です。
しかし、これに対して否定側は「そもそも、助けるべき人間がそこにいた時に、なぜその人を難民であるとわざわざ認定しなくてはいけないのか。誰かを守る際に認定が必要だというのは、裏を返せば、認定されない人間を守らないでいることを正当化している。つまり、難民を認定し続ける限り、『難民ではないから助けなくていい人』も認定され続けるのだ。本来目指すべきは、認定なしにみんなが守られる世界だ。だから難民認定という制度自体を我々は拒否する」と論じることができます*10
 
冒頭で挙げた禁煙政策や解雇規制緩和政策の例も、まさに相手の議論の前提や価値観について批判を行っていますね。
 

2-2. 現在のディベートディベート界の在り方を論じるもの

ディベートディベート界の在り方を批判する議論です。
 
例えば、いまのディベートは「客観的」に見える学問的な証拠資料を重んじるあまり、「主観的」だと思われてしまうディベーター個人の経験や語りを排除している*11*12。もしくは、いまのディベート界には性別や階級の差別が存在している。こういった批判を行います。

 
このタイプのクリティークでは、ディベートは実社会と繋がったリアルな議論をする場所なのだ、そして参加する人々に世界を変えるための言葉を授けるべきなのだという観点が強く押し出されます
また、ディベーターやジャッジが国家として採るべきアクションのみを議論し、個人として実際にできることを何ら議論しないことも頻繁に批判されます*13
その結果、ディベートディベート界という目の前の世界で起きている抑圧から目を逸らしながら政策の議論を続けることが疑問視され、いまこの場所で社会に何ができるかを問うことになります
 
そして論題も必ずしも字義通り解釈される必要はない、もっと言えばそれは議論のきっかけとして存在すればよいのではないか、肯定したり否定したりということが本当に重要なのかと問われるのです。
 
こうした議論をもとに、肯定側は「国家の政策としてのプラン」ではなく、「ディベーター個人の主張としてのアドボカシー*14」を提示します。
否定側であれば、肯定側が個人としてすべきことを何ら提案していないという事実を批判します。
 
実際の例で言えば、2013年のNDT*15の決勝戦があります。
論題はアメリカ政府の新エネルギー政策を問うものでした*16。黒人かつジェンダーマイノリティである2人から成る肯定側は「我々はディベート界でも実際の社会でも差別されている。今この場所で論じるべきは政府がエネルギーをどうすべきかではなく、ディベート界がこの差別にどう立ち向かうべきかということなのだ。我々はディベート界の意識をこの場で変えるために、個人として議論する」と論を展開し、試合を制しました*17

 
もちろん、このタイプのクリティークにも様々あり、ここで紹介したものには留まりません。
 

2-3. 政府以外の立場に則って論題を肯定するもの

何らかの問題意識に基づき、日本政府ではない立場から論題を肯定する議論です。これは特に「クリティカルアファーマティブ(k aff, critical affirmative)」と呼ばれています。
 
代表的なタイプとして、国家の視点で論題を肯定するのではなく、一市民や問題の当事者の視点で論題を肯定するものがあります。
例えば、代理出産の国内導入の是非を問う論題において、ディベーターは次のように政府批判をしながら、日本政府としてではなく不妊問題の当事者として論題を肯定できます。
「『倫理的でないから』と言って代理出産を認めない日本政府の立場は、当事者の声を無視している。そもそも我々は科学技術によって幸せになる権利を有している。だから政府は認めるべきだ」
 
このタイプの肯定側は必ずしも具体的な政策としてのプランを出すわけではなく、そもそも細かな政策の議論をしないことがほとんどでしょう。
なぜなら、一般的な市民や当事者が政治を議論する方法は、普段の政策ディベートのような「XX年からXX法に基づく……XX%の人員を……」などと細かな政策の議論をすることに限られないからです。
むしろそのような方法を日常的に実施する人はそれほど多くないでしょう。
 
そして、市民や当事者という立場ではどのように政治議論を行うべきかということを更に考え、ディベートにラップや詩の朗読を取り入れることもあります*18

公共の場での政治議論が、「論理的」で「実証的」なものに限られるべきではないという指摘は政治学者から多くなされています*19
わかりやすく言えば、路上で政治的なメッセージを主張する人々が歌や詩*20、ラップや演劇といった手段に訴えていることがありますが、あれも立派な政治議論の一環なのです。そうであれば、それを政治議論の場であるディベートに持ち込むことも自然だというわけです。そして、実際の試合でディベーターはラップや詩の朗読といったコミュニケーションの形を必要に応じて正当化します。この、多様なコミュニケーション様式を取り込むディベートについては5-3セクションで詳しく解説しています。

 
なお、クリティカルアファーマティブは既存の政府視点からのディベートを批判することも多々あるため、②と重複してくる部分がおおいにあります。
 

2-4. 相手の行動や発した言葉を批判するもの

相手の行動や発した言葉について、それらが抱える前提やそういった行為そのものが持つ影響を議論します。
 
例えば日米安保解消の是非を問う論題において「テロリズム」「テロリスト」という言葉が相手側により使用されたとき、それらの言葉が如何に「アメリカ側/敵」という二項対立を作り出して政治の形を歪めてきたかを指摘できるでしょう*21
 
また、ヘイトスピーチの法的禁止の是非を問う論題では、相手が非常に差別的な言葉を資料引用の際に発した時、たとえそれが引用であっても発されるべき言葉ではないと批判できるでしょう。
 
さて、以上がクリティークの代表的なタイプとなります。
なお前述の通り、分類をすり抜けるのがクリティークの性質でもあり、どれにも当てはまらないものもあります*22
 
このセクションのまとめ
クリティークは主に4種類ある
①相手の議論の内容について論じるもの
ディベート界の在り方を問うもの
③政府以外の立場から論題を肯定するもの(クリティカルアファーマティブ、k aff, critical aff)
④相手の行動や発した言葉を批判するもの
上のどれにもあてはまらないクリティークもやっぱりある
 

3. なんでクリティークをやるの?

この記事で初めてクリティークに触れる方々の中には、そもそもなぜこのような議論が出されるのか疑問に思われる方もいるかもしれません*23
 
議論を出す理由は人それぞれですが、ひとまずこれだけは言えます。ディベートにおいては、議論したいと思ったことについて議論するのをとめる権利は誰にもありません誰かが話したいことがある。そしてそれはメリット・デメリット形式では話しづらい。だからクリティークを用いる。起きているのは、ただそれだけのことです。
 
議論したいことがある。でもメリット・デメリットでは語れない。語りたくない。その時はクリティークという道具を使ってみてください
ディベートという場所はあなたが思っている以上に可能性に拓かれているはずです。
 
このセクションのまとめ
・メリット・デメリットで話しづらいならクリティークをやってみよう!!
・もちろん、ただクリティークをやりたいからってことでやってみるのも全然アリだよね
 

4. クリティークはなにでできているの??~基本の3要件~

いよいよここからはクリティークを構成する要素を解説します*24構成要素さえ知ってしまえば、メリット・デメリットの議論と同じように簡単に議論できます!!それではさっそくいってみましょう。
 
さっそく結論から言ってしまうのですが、クリティークには3つの基本3要素がありリンクインパクオルタナティブと呼ばれます。メリット・デメリットが3つの要素で構成されるのと同じですね!!
では、これらが一体なんなのかを見ていってみましょう。
 
まず大前提として、ほとんどのクリティークが、なにか特定の事柄についてそこになんらかの問題が潜んでいること、そしてその問題がとても深刻であること、最後にその問題をふまえてどう考えるかという3ステップで議論をしています
 
例えばセクション2-1で紹介した「相手の主張はセクシュアルマイノリティをあたかも存在しないかのように扱い政治から排除してしまう分析方法に則っているために認めるべきではない」という主張を考えます 。
1.ここではまず、相手の主張が則っている分析方法について、そこにセクシュアルマイノリティがあたかも存在しないかのように振る舞っているという問題が潜んでいると指摘しています。
2.そして、その問題はセクシュアルマイノリティの政治からの排除を生むから深刻だと説明しています。
3.最後に、それを認めるべきでないという姿勢を提示しています。
 
このようにクリティークを捉えたとき、それが3つの要素から成っていることが分かります。
1.ある特定の物事に問題が潜んでいるのだと指摘する部分=リンク
2.その問題がなぜ深刻なのか、なぜ重要なのか=インパク
3.リンクとインパクトをふまえた、代わりとなる考え方や行動=オルタナティブ*25
 
この枠組みは幅広く適用できます。
セクション2-1では難民認定基準の緩和を問う論題について、難民保護というメリットに対するクリティークを紹介しました。
このクリティークを3要件に落とし込んでみましょう!
 
リンク:現在の世界では、国を追われて居場所がない人の生きる権利が保障されるためには、難民認定というプロセスを通じて、その人がどこかの国に所属することが必要とされている。肯定側のアプローチは、この「所属するということと、生きる権利が保障されるということが一体になっているシステム」を前提として受け入れている。
 
インパク:この「所属するということと、生きる権利が保障されるということが一体になっているシステム」を前提とする限り、国に所属することができない人の生きる権利は保障されない。例えば、難民であると認定されなかったことを理由にその人を日本の敷地に入れない、戸籍が登録されていないことを理由にその人を行政サービスから排除する*26。こういった人権侵害を認めることになる。

 
オルタナティブ:肯定側が前提として受け入れている、「所属と生きる権利とが一体となったシステム」を拒否しよう。その代わりに、生きる権利が無条件に保障される世界を目指そう。国に所属しているから守られるのではなく、ただその場所で生きているから守られる。そのような世界を目指そう
 
また、「現在のディベートディベート界の在り方を論じる」クリティーク(タイプ2)も3要素で書けます。
セクション2-2では例として2013年のCEDA/NDTを制した議論、「自分たちはディベート界でも実際の社会でも差別されている。今ここで論じるべきは政府のエネルギー政策ではなく、ディベート界が差別にどう立ち向かうべきかということである。自分たちはディベート界の意識をこの場で変えるために、個人として議論する」という主張を紹介しました。
先ほどは省略しましたが、このような議論は「差別に立ち向かうために自分たちの議論に投票してくれ」と続くことがほとんどなので、これも含めて3要素に則り整理してみましょう*27
 
リンクディベート界やそれに限らない社会全体が、自分たちに対して差別的だ
インパク:差別は解決すべき深刻な問題である*28
オルタナティブ:差別に立ち向かうために自分たちの議論に投票する*29
 
議論や判定の際にはリンク、インパクト、オルタナティブを意識すると見通しがよくなります。
3要素で整理されるのはメリット・デメリットと同じです。クリティークだってシンプルなんですね!
 
このセクションのまとめ
・クリティークはリンク、インパクト、オルタナティブという3要素で構成される
・「リンク」=「問題が潜んでいるという指摘の議論
・「インパクト」=「その問題がなぜ深刻なのか、なぜ重要なのかの議論
・「オルタナティブ」=「代わりとなる考え方や行動の議論」(=「ではどう考えていけばいいか」「じゃあどうしたらいいか」)
3要素を意識して議論や判定をするとやりやすい
 

5. ディベートが世界を変える!?~アクティビズムディベート入門~

5-1. アクティビズムディベートって何??

直前のセクション4の最後にて、「現在のディベートディベート界の在り方を論じる」クリティーク(タイプ2)を3要件で整理しました。そのときのオルタナティブは「差別に立ち向かうために自分たちの議論に投票する」ことでした。
 
このクリティークは差別に立ち向かっています。試合を通して、現実社会の問題に立ち向かおうと言っているわけです。
このように、クリティークの中には「いまこの瞬間この場所から世界を変えるために自分たちに投票してくれ」と審判に請願をするものがあります。
 
こうした、試合を通じて現実の社会を実際に変えようとする議論アクティビズムディベートと本稿では呼びます*30
 
さて、「いまこの瞬間この場所から世界を変えるために自分たちに投票してくれ」と聞いたとき、ジャッジが世界を変えられるの??と皆さんは思ったかもしれません。
 
たしかに、ジャッジの投票が現実の社会を変えるという発想は、ディベートを始めたばかりの人やメリット・デメリット方式のディベートに慣れ親しんできた方々にはあまり馴染みがないでしょう。
 
ただ、例えばジャッジの判定は選手の議論の選択に大きく影響を与えることはみなさんも実感している通りです。ディベーターが議論を選ぶということは、ディベーターはその議論で納得する他者の存在を認め、同じこの社会にそのような他者がいることを学んだということでもあります。
また、ディベートを聞いている人たちも、ジャッジが理由をつけて出した判定を聞くことで他人の考え方を学びうるでしょう。
このようにジャッジの判定は現実の社会に影響しているのです。
なおジャッジングに留まらず、試合の議論や準備活動など色々なディベート活動が社会に影響するという認識は多くのディベート研究者やコーチの間で共有されています。
 
アクティビズムディベートでは、問題解決のためにこの判定の影響力を活用せよと選手が主張します
 
「ジャッジ一人では世界を変えられない」と思う方もいるでしょう。しかし、そうだとしたらディベートの教育効果とは一体どうなるでしょうか。
ディベートは小さな教室で少人数で実施されます。そうである以上、準備を通じて知識をつけること、試合を通じて議論の技術を身につけること、そして投票を通じて世界が変わること、どのような形であれディベートの教育効果は小さな教室の何人かから世界が少しずつ変わっていくことを前提にしています
ディベートに限らず、居酒屋談義からストリートデモまであらゆる政治的行為、小学校から塾まであらゆる教育活動はミクロなスケールでも意義を持つことが明らかです。
 
それでは、次セクションからはアクティビズムディベートが必要とする要素を見ていきましょう。 
 
このセクションのまとめ
・「アクティビズムディベート」=「試合や投票を通じて現実の社会を実際に変えようとする議論
一つ一つの試合や審判の投票は社会全体からしたらとても小さな存在だけど、それでも社会に影響を及ぼしている。だからこそアクティビズムディベートはそこを社会変革の起点とする
 

5-2. 審判は何のためにそこにいるのか?~ロール・オブ・ザ・バロット~

まず、アクティビズムディベートも基本は3要素で整理できます。先ほど「現在のディベートディベート界の在り方を論じる」クリティーク、つまりアクティビズムディベートをリンク、インパクト、オルタナティブで整理しましたよね。やはり3要素は大切なのです。
 
ただし、この3要素にアクティビズムディベート特有の味付けが加わります。ロール・オブ・ザ・バロット(Role Of The Ballot, 略してROTB*31)と呼ばれる議論です。これはその試合の審判の役割を論じる議論です。
 
なぜ審判の役割を議論するのでしょうか。
アクティビズムディベートディベートという場所を社会変革の場所として捉えます*32。そして「社会変革の場所」を司る審判に対し、変革への協力を求めます
変革への協力を求めるのは、先ほど述べたようにジャッジが教育者としてであれ、ディベートコミュニティの一員としてであれ、あるいは有権者や政治的市民として、そして一人の人間として、その判定/選択に影響力を持つからです。
この協力要請をするために、アクティビズムディベートではROTBが議論されます
 
具体的に内容を見てみましょう。多くの場合、従来のディベートとは違う審判の役割が論じられます。
通常、審判の役割は「論題が肯定されたら肯定側に、そうでないなら否定側に投票すること」もしくは「最もよい政策を提案した側に投票すること」を確認してください。
しかし、例えば社会の差別構造を変革するためのアクティビズムディベートにおいては、審判の役割は「よりよく差別に立ち向かった側に投票すること」であると論じられます
また、資本主義を打ち倒すことが試合の目的ならば「最も効果的に資本主義に抵抗した側に投票すること」と論じられます
 
このように、アクティビズムディベートは審判や投票行為の役割を議論します。これがROTBの議論です
 
このROTBを採用した審判は、その役割に則り議論を評価することになるため、様々な議論の評価も従来とは異なるものになります。
例えばROTBが「最もよく資本主義に抵抗した側に投票すること」ならば、通常はメリット・デメリットにどう影響するかという観点で評価されていた試合の議論が、資本主義に抵抗できているかという観点で評価されます。
純粋な政策の議論としては評価されていた主張も、資本主義に貢献する議論であれば、このROTBの下では棄却されます
このように、クリティークの視点にたって議論を丸ごと棄却することを、議論を”kritik outする”と言います
 
実際の例を見てみましょう。
先ほど紹介したアメリディベート優勝チームは1ACでROTBを以下のように設定しました 。
(原文)to endorse the team that best methodologically and performatively brings debate home
(意訳)最も優れた方法、優れた行為によってディベートをホームにしたチームを支持すること

そのチームはディベートコミュニティを含めた社会全体にはびこる差別を指摘し、苦境の中で生きるために人間には「家」が必要だと論じました。

そして不安定な家庭環境で育った自分はディベートの場で新しい出会いを重ね、自分にとっての家族を見つけた、だから自分にとってディベートコミュニティこそが「家」すなわち「ホーム」なのだと説明しました。

しかしディベート界も社会と同様に差別的で、従来のディベートの形式や慣習も構造的な暴力を受ける人々のリアルな生活を疎外しているんだ。だからいま私はここでディベートをホームにするためにディベートするのだ、そしてジャッジもコミュニティの一員としてこれを支持してくれと主張しました*33

このようにROTBは自分たちが取り上げた問題に強く結びつく形で議論がされるのです。


このセクションのまとめ
アクティビズムディベートも基本はリンク、インパクト、オルタナティブ
アクティビズムディベートでは現実の世界を変革するため、審判に協力をお願いする。そこでROTBが論じられる
・「ROTB(ロール・オブ・ザ・バロット)」=「試合におけるジャッジの役割を決める議論
・ROTBが変化すると、議論が「kritik outされる」(=「クリティークの提唱する価値観のもとで低く評価される」)ことがある  
 

5-3. ラップするディベーター?ディベートするラッパー?~多様なコミュニケーション様式~

政府以外の立場で議論をするクリティークの話をした際、ディベートにダンスや歌を取り入れることがあると述べました。
ここでは、そのような行為をディベートに取り入れる際のポイントを説明します。なお、こうしたディベートは一部で「パフォーマンスディベート」と呼ばれていますが、この名称は不適切なのではないかと論じられ始めており、本稿では用いません*34

 
まず大前提として、ダンスや歌、ヒップホップ*35や詩の朗読といった行為は、特定の目的や文化のもとで有効な手段であることを知っておきましょう。

例えばヒップホップには、黒人が差別や抑圧への怒りを表現する手段としての機能があると論じられています*36

ダンスや歌、ヒップホップといったコミュニケーション形式は従来のディベートのコミュニケーション――論理的な構造や、落ち着いた口調によるコミュニケーションが持たない強みを持ちます特に抑圧への抵抗という文脈ではダンスやヒップホップをはじめとした芸術的な行為は有効な手段だといわれます
 
これを踏まえ、アクティビズムディベートに立ち戻れば、なぜそうした行為が取り入れられるのか分かるはずです。
アクティビズムディベートの目的はしばしば抑圧への抵抗、社会の変革ですダンスやラップが抑圧の抵抗に適したコミュニケーション形式ならば、それを取り入れない方が不自然でしょう。むしろ取り入れるべきです
 
「ラップでディベートなんて……」と否定的に思う方もいるかもしれません。少し詳しく考えてみましょう。
ラップはしばしば貧困といった「恵まれない」環境にいる人たちにとって武器になってきた側面があります
「自分の周りにはこんなに暴力があふれている」
「おれの街には救急車なんて呼んでも来てくれない」
「男はいつだって女の私たちを甘く見て見下してくる」
こうした主張はラップという形式が持つ強み――怒りの表しやすさ、ビートのリズムに合わせた言葉のスムーズな伝達と相性がよかったのです。政治的な問題を語る、その深刻さを伝えるうえでラップは効果的なコミュニケーション様式なのです
これは、政策が引き起こす具体的な変化を論じるときに、しっかりした論理構成で冷静に話すことが有効なコミュニケーション様式であるのと同じことです。
ラッパーは政治について、効果的な形式で語っているのです。メリット・デメリットのディベーターも政治について、効果的な形式で語っているのです。もしそうであれば、両者は同じ土俵に立って政治について議論ができるはずです。ラップするディベーターとディベートするラッパーを見分けることができますか。できないはずです。
これはラップに限らず、幅広いコミュニケーション様式に言えることです。高度に論理指向で冷静で「客観的」なコミュニケーション形式が特別扱いされる筋合いはないのです。論点Aとか現状分析とか、そういう言葉で整理して話すことがいつだって求められるわけではないのです。
これがアクティビズムディベートを中心に、ディベートにおいて多様なコミュニケーション様式が取り入れられるに至った背景です。
 
こうした多様なコミュニケーション様式を取り入れたディベートでは、従来の伝統的なディベートのコミュニケーション形式や議論の手法が抑圧を生むことも論じられます*37。そのうえでROTBを「最もよく抑圧に抵抗した側を支持すること」だと説明すれば、コミュニケーションの形式で相手を上回ることができます

 
また、こうしたコミュニケーション形式が取り入れられる場合のポイントとして、そこではディベーターの感じていることや体験が、社会やコミュニティの構造や問題と結びついていることが説明されます
なぜそのようなことをするのでしょうか。それは、多くの場合に個人の体験は社会の構造や問題と結びついて初めて、抑圧や差別といった構造的暴力の文脈のもとで解釈してもらえるからです。要は、自分が感じた抑圧や差別を社会やコミュニティとの関係性を一切なしで語ってしまえば、「あなた個人の問題じゃん」と言われて終わってしまう可能性があるのです*38
 
例えば、先ほど紹介した2013年CEDA/NDT優勝ディベーターは自分の感じる疎外感がコミュニティの問題なのだと、語り(narrative)*39を通じて伝えました。このように大きな流れ、構造、枠組みと共に自分の思いが表現されることが多いです。

このセクションのまとめ
そもそもコミュニケーションの方法はディベートのような高度に論理指向なものだけではないいろいろなコミュニケーション様式が、各々の強みを持っている
・特にアクティビズムディベートを中心に、ディベートでは目的に合わせたコミュニケーション様式を採用できる
・従来のディベートとは異なるコミュニケーション様式をROTB等の議論と組み合わせれば、様々な議論ができる
ダンスや歌を通じて、ディベーターは自分の体験と社会構造とを関連させる
  

5-4. 論題をどう読んで、どう肯定する??~k affの論題へのスタンス~

肯定側でアクティビズムディベートを実施する際には、「論題をどう取り扱うか」という点がポイントになる場合が多々あります。
というのも、肯定側が仕掛けるアクティビズムディベートでは論題を字義通りの意味では肯定しない場合があるからです。
 
例えば、たびたび扱っている「ディベートをホームにする」という議論は、論題がアメリカ政府の新エネルギー政策を問う*40中、決勝の肯定側から出されて優勝しています
どのようにして論題を肯定しているのかと不思議に思うかもしれません。
ここにはアクティビズム的なクリティカルアファーマティブ特有の、論題へのスタンスがあります。
これを知らずにクリティークは語れないでしょう!早速みていきます。
 
字義通りに解釈された論題を肯定していない肯定側は、通常は論題に対して2種類の立場をとることが多いです 。一つは自分たちの議論が論題を肯定していると主張する立場もう一つは論題を肯定しなければならないという肯定側に課せられた役割そのものに異議を唱える立場です。
 
前者では、自分たちの主張が論題と同じ方向性や構造を持つことを理由に方向性として論題を肯定しているといった説明や、論題を比喩的に肯定しているといった説明がなされます。
 
例えばアメリカ政府はNATOから離脱すべきだという論題の下、肯定側が「ディベートコミュニティは伝統的なディベートの形式から脱却すべきだ」と論じた例があります。これはアメリカ政府をディベートコミュニティ、NATOを伝統的なディベートの形式と比喩的に読み替え、論題を肯定しています*41
 
後者の立場、すなわち論題を肯定する役割そのものに反対する立場を見てみましょう。まず、これはtopicalityという肯定側を縛る規則そのものに反対する点で、単に論題を肯定できていないuntopicalな肯定側とは一線を画す立場だということを確認してください。そして、様々な理由から論題を字義通りに解釈して議論することの弊害を説明することに重きが置かれます。先ほどの立場でもこれは行われますが、こちらの立場ではより重要になるでしょう。
 
この字義通りの解釈への批判は、伝統的なディベートのやり方への批判と大きく重なる部分です。
 
例えば、論題を字義通りに解釈した瞬間、話すことは日本政府のアクションになり、国政や国際情勢が議論のターゲットになります。
そうすると、例えばディベートコミュニティのためにディベーターとして何ができるかとか、例えば自分の通っている学校のために生徒として何ができるかとか、そういったことは議論できなくなってしまいます
 
これは、伝統的なメリット・デメリットのディベートに対する「国家のアクションだけを議論し、個人としてできることを議論できない」という批判そのものです。このように、伝統的なディベートのやり方への批判は多くの場合、論題を字義通りに解釈して議論することの弊害と捉えられ、アクティビズム的なk affからどんどん議論されます
 
このような論題の肯定行為そのものに異議を唱える立場からは、自分たちの議論には論題の肯定を捨て置くだけの価値があると論じられることも多いでしょう。
 
なお、いずれの立場でも自分たちの議論は論題と密接に関わっているという説明がされます。
 
実際、散々引き合いに出している「ホーム」の議論では、アメリカ新エネルギー政策を考える論題との関連性が次のように述べられました。
「論題の『エネルギー』という単語は、人間が生きていく上で必要な活力を指す言葉だ。そして人間が朝起きてベッドから出て、苦境を生き抜くためのエネルギーは他でもない「家」=「ホーム」で作られるのだ。そうであるのなら、『エネルギー生産(energy production)』についての論題の下で我々は『ホームを作り出すこと(home production)』について話す必要がある」
 
このように肯定側は論題と自分たちの議論とが十分に関連しており、荒唐無稽な話はしていないと説明することが多いです。

このセクションのまとめ
アクティビズム的なクリティカルアファーマティブは、論題を字義通りに解釈しないことが多い
・このような肯定側は主に2つの立場をとりうる(試合の中で両方の立場をとってもよいし、振り切ってしまってもよい)
字義通りにではないにせよ、論題を肯定していると主張する立場
論題を肯定するという役割そのものに異議を唱える立場
・いずれの立場でも肯定側は、論題を字義通りに解釈する伝統的なディベートが批判し自分たちの議論が論題と十分に関連していることを説明することが多い
 

5-5. ディベートってどうあるべきなの??~フレームワーク

突然ですが、自分がジャッジだとして次のような場合を想定して下さい。
 
肯定側はROTBを「社会の抑圧に最もよく立ち向かった側に投票すること」と設定した。
否定側はROTBを「最も良い政策を提示した側に投票すること」と設定しました*42
そして最終的には肯定側の主張も分かるし、否定側の政策も分かるという状態。
 
これは「バナナとホッチキスどちらを選びますか。ただし、あなたがお腹の空いている人であればバナナを選ぶし、事務作業をしているのであればホッチキスを選びますよ」と言われているようなものでしょう。
決められないのは当然です。自分の置かれている状況や役割を仮定しなければ答えは出ないのに、その仮定をするための根拠がないのです
 
2つの異なる性質のものを比べるための共通の尺度がないという事態は、両者から提示されたROTBが異なるという状況に限らず、クリティーディベートでは幅広く起こり得ます。
このような場合、ディベーターからフレームワーク(Framework, 略してFW)の議論が出されるべきです。
FWとは「ディベートをどのような場所として捉えるか」、「ディベートでは何がなされるべきなのか」といったディベートの在り方を争う議論のことです。
 
FWの実際の例をみてみましょう。
例えば「女性に対する抑圧への抵抗*43*44」を目指すアクティビズムディベートでは、ディベートは女性がジェンダーロールから解放され自由に議論することを後押しする場所であるべきだとFWを論じることで、自分たちの抵抗活動をディベートにおける重要な活動であると説明できます

 
また、アクティビズムディベートや具体的な政策を話し合うディベートといった様々なディベート形式の良さ悪さを議論することもFWの議論になるでしょう*45
 
ところでROTBやFWという要素は、クリティークの基本的な3要素とは分けて考えられるべきです。なぜなら、ジャッジはROTBやFWに則って双方の議論を評価することになる*46ため、ROTBやFWは試合全体を司るものだからです。ROTBやFWは試合の個別の議論を評価するための物差しなのです。物差しと、物差しで測られるものとは次元が異なるのですから、分けて考えられるべきです。
 
ROTBやFWは試合の物差しですから、メリット・デメリットを出している側も異論があるならそれらを議論する必要があります。ディベート的に言うのであれば、クリティーク側もそうでない側もROTBやFWの立証責任があるということです*47。そして、ジャッジもまた、ROTBやFWという試合の物差しをまずは定めなければ判定は出せません物差しがなければ、両チームが出した議論を測定し評価することはできないからです
 
さて、読者の方の中には「私は今までメリット・デメリットを出してきたけど、一度もROTBやFWの議論をしたことがない」と思った人がいるかもしれません。
おそらくそういった方はこれまでクリティークと対戦をしたことがないのではないでしょうか。
既にお気づきかもしれませんが、ROTBやFWの議論をしたことがないというのは、単にあなたと試合相手が同一のROTBおよびFWを暗黙のうちに共有してきたからです。
つまり、両者の間で「ジャッジは政策決定者としてふるまい、メリット・デメリットの比較で論題の肯定および否定を判定すべきだ」というROTBおよびFWが同意されていたに過ぎないということです*48

 
このセクションのまとめ
・「FW(フレームワーク)」=「ディベートの在り方を争う議論」(=「ディベートをどのような場所として捉えるか」「ディベートでは何がなされるべきなのか」)
ROTBやFWは試合の各議論を評価するための物差し
クリティークをやる側もやられる側もROTBやFWを議論しないといけない
ジャッジもROTBやFWの判断からしなければならない
 
さて、クリティークの基本的な要素の解説はこれでおしまいです!!
ここからはクリティークに対してどう反論するかを見ていきましょう。
 

6. クリティークがきた!どうしよう!?~反論の仕方~

ここまではクリティークをいかに作り上げるかという観点でしたが、当然、クリティークへの反論の仕方も押さえておかなければなりません。セクション3,4,5で説明されたクリティークの構造をおさえてしまえば、反論の方法も意外と単純であることに気が付くはずです。

これもメリット・デメリット方式のディベートと同じで、難しい話ではありません。リンクがあるならリンクを切る、インパクトに対してターンをしてみるとか、意外と同じような話が出てきます。ではさっそく見ていきましょう!

 

6-1. その指摘は当てはまらないよ~リンクを外す~ 

クリティークの3要素をもう一度おさらいしてみましょう。
・クリティークはリンク、インパクト、オルタナティブという3要素で構成される
・「リンク」=「問題が潜んでいるという指摘の議論
・「インパク」=「その問題がなぜ深刻なのか、なぜ重要なのかの議論
・「オルタナティブ」=「代わりとなる考え方や行動の議論」(=「ではどう考えていけばいいか」「じゃあどうしたらいいか」)
まずはこれら3要素に対して、丁寧に異を唱えていくことが基本方針として重要です。
 
最初にリンクを無効化できないか、つまり自分たちは相手が問題視している事柄に加担していないのだと説明できないかを考えてみましょう。これは特にクリティークのリンクの説明が漠然としている場合で有効です。
 
リンクを無効化する手がかりを探すため、まずは質疑なども使いつつ、立論のどの部分がなぜ問題視されているのかを明確に確認しましょう。
特にどの部分を対象にしているのかは、きちんと言語化してもらわなければこちらも反論ができません
「解決性を通じた議論全体がどうこう」とか「立論の内因性の4枚目の資料がどうこう」とか、あるいは「立論全体を通して〇〇については結局議論されていなかったこと」とか、腑に落ちるまで聞いてみるべきです。
 
そのうえで相手の言っていることが的外れであったり、勘違いであったりすれば、自分たちは問題に加担していないのだと主張することでリンクを無効化できるはずです。まずはリンクをきちんと確認すべきですジャッジも自分もぴんと来ていないのなら、そのクリティークは高い確率で問題の指摘に失敗しているはずです。
 

6-2. むしろいいことだと言ってみよう~ターンアラウンド~

ターンアラウンドもありえます。リンクをひっくり返してもよいですし、インパクトをひっくり返してもよいのですが、いずれにせよ「いやいや、むしろ逆ですよ」と言うのです。

例えばセクション2-4では、下のようなクリティークを紹介しました。
例えば日米安保解消の是非を問う論題において「テロリズム」「テロリスト」という言葉が相手側により使用されたとき、それらの言葉が如何に「アメリカ側/敵」という二項対立を作り出して政治の形を歪めてきたかを指摘できるでしょう。
こういったクリティークはしばしば「政治の形がゆがめられた結果、根本原因に目が向けられなくなり、問題解決ができなくなる」と続きます。
これに対するターンアラウンドとして一つあるのは『「テロリズム」や「テロリスト」という言葉を定義することで初めて問題に対処できるようになる。むしろ定義しなければ問題の解決ができなくなる』という主張です。
 
特に、言葉について議論をするクリティークでは、上のような反論は有効な場合が多いです。つまり「言葉を定義しなければ問題解決に向かっていけなくなる」ということです。
 
なお、ターンアラウンドや後述するカウンタークリティークは、相手のクリティークがベースにしている思想や哲学者への批判をしている文献をもとに構成できます。リサーチではそれを意識してみましょう。
 

6-3. それじゃ何も変わらないよと言ってみよう~オルタナティブの無効化~

オルタナティブが、クリティークの提示した問題をなんら解決しない可能性を考えてみるべきです。
 
例えばクォータ制を問う論題において「相手の主張はセクシュアルマイノリティをあたかも存在しないかのように扱うことで政治から排除する分析方法に則っているために認めるべきではない」と主張するクリティークを考えましょう。
 
ここで、オルタナティブが「LGBTの人も含めて議論すること」だったとします。もしかしたら自然に見えるかもしれないこのオルタナティブは、クリティークが指摘している問題を再生産してしまうおそれがあります。
 
ジェンダーセクシュアリティのいずれについてもそれらを分類しきることは事実上不可能(だとされるべき)であると広く論じられています*49

そうであれば、どのように問題提起するにせよ「男女に加えて〇〇も含めなければだめだ」と主張した瞬間に、男女とその加えられた人たち以外のあらゆる人たちがまた排除されてしまうのです。
 
以上のようにオルタナティブが、もともと提起されていた問題を再び生み出してしまったり、そもそも全然解決に向かっていなかったりといった可能性を考えてみましょう
 

6-4. クリティークをクリティークしてみよう~カウンタークリティーク~

ここまでのことを考えてみた後は、クリティークをクリティークできないか考えてみましょう。
難しいことではありません、要するに相手が出してきた議論について、考え方や前提を批判してみたり、言葉の使い方の問題点を指摘してみたりするだけです
このようにクリティークに対してカウンターで出されるクリティークを「カウンタークリティーク」もしくは「アンチクリティーク」と呼びます前者のがメジャーかもしれません
 
カウンタークリティーク特有のコツといったものはなく、これまでの解説をふまえて実際に作ってみる他ありません。6-2でも紹介したように、相手のクリティークがベースにしている思想や哲学者への批判をする文献を探してみましょう
ここではアイデアの幅を広げるような例をいくつか紹介いたします。
 
例えば、人種や性別の差別に立ち向かうアクティビズムディベートへのカウンタークリティークとしてよくあるのはアイデンティティ政治(identity politics)の批判です。
 
アイデンティティ政治とは、簡単に言えば、「差別や抑圧の対象となっているアイデンティティを持つ人々が、そのアイデンティティをもとにして実施する政治運動」を指します。「共通のアイデンティティを持つ人たちが連帯して実施する政治運動」のように把握されるケースも多いでしょう。
 
例えば女性差別に立ち向かうために女性が連帯するのであれば、それは女性というアイデンティティを持つ人々のアイデンティティ政治です。人種も障がいも民族も、ありとあらゆる「属性」でアイデンティティ政治は生じえます。
 
アクティビズムディベートが何らかのアイデンティティや属性に対する抑圧に立ち向かう場合、それはアイデンティティ政治だといえます。それはアイデンティティを宣言したうえで、実際に社会変革を起こそうというのですから。だからこそ、アイデンティティ政治の批判が直球で当てはまるのです。
 
少し調べてみればわかるように、アイデンティティ政治は分断や対立を生むと多く指摘されています。そのような議論をしてもよいでしょう。
「肯定側のアイデンティティを介した社会運動は結果的にアイデンティティによる分断をもたらし、差別や抑圧を悪化させてしまう」のように議論することが可能です。
 
上記のアイデアは少しターンアラウンドのようです。よりカウンタークリティーク寄りの議論として、性別や民族等のアイデンティティをもとにしたアクティビズムディベートのアプローチは資本主義への抵抗を不可能にするという主張ができるでしょう。
このようなクリティークでは、相手が問題にしている抑圧の構造の根本原因が経済問題などの資本主義的なものなのだと論じられることが多いです。そうすることで、相手のインパクトを上回ることができるからです*50
 
3要素で整理すると、このカウンタークリティークは以下のようになります。
 
リンク: 相手の女性性をもとにしたアクティビズムディベートは、女性が女性以外のジェンダーアイデンティティを持つ人々と連帯することを困難にしてしまう
インパク: ジェンダーアイデンティティを超えた連帯ができなければ、性差別の根本原因である資本主義を打ち倒すことはできない
オルタナティブ: 相手のアクティビズムディベートを拒絶し、資本主義に立ち向かうために我々のディベートに投票すべき
フレームワーク: 資本主義に立ち向かうには、ある政治システムが具体的にどのような影響を及ぼしているか大局的に分析する力を養わなければならない。ディベートは資本主義に立ち向かうために、そういう分析をする場所であるべき
 
もちろん、こういったカウンタークリティークをしっかりと論証するためには、相手のクリティークに関連する思想体系をよく理解することから始めなければなりません。セクション7-1で紹介するリサーチ方法を参考にしつつ、相手のクリティークがベースにしている思想や哲学者への批判を探すことが肝要でしょう。
 

6-5. ROTBとフレームワークも議論しよう

セクション5-5の最後で、ROTBやフレームワークが両チームから議論されることの必要性を説明しました。もう一度読んでみましょう。
ROTBやFWは試合の物差しですから、メリット・デメリットを出している側も異論があるならそれらを議論する必要があります。ディベート的に言うのであれば、クリティーク側もそうでない側もROTBやFWの立証責任があるということです。
これは当たり前のことですが、ROTBやFWの議論で有利になれば試合全体で有利にことを進められます。逆も然りです。
そのためROTBやFWの議論が相手に出されたら、なるべく対抗するROTBやFWを提示することが望ましいです
 
ただ、「ROTBやFWで勝てばいいんだ!」と思ってそこだけを議論することは危険です。これには主に2つの理由があります。
 
まず、ROTBやFWを仕掛ける側は必死の思いでその準備をしてくるはずです。
特にあなたがメリット・デメリット形式のディベートをやろうとしているなら、クリティーク側は相当に準備を重ねていることを覚悟すべきです。
セクション7-1でも紹介するアメリカのデータベースを使えば、メリット・デメリット形式のディベートを批判する、ROTBやFW向けの資料が多く見つかるはずです。そういったものが多く読まれると想定すべきです。
 
また、ROTBやFWの議論はジャッジによって採り方が異なるのが現実です。セクション7-3,4でも解説しますが、これらの議論はジャッジフィロソフィーに密接にかかわってくるため、どうしてもジャッジ個人の考え方が判定に影響しやすいのです。クリティークの考え方に親和的なジャッジであれば、ROTBやFWの議論はクリティークに有利な着地点におさまりやすいでしょう。もちろん逆もしかりです。
 
以上のことから、ROTBやFWの一点集中で勝とうとするのはリスキーだと言えます。予想外のクリティークを出されない限りは、6-1から6-4で説明したような3要素への反論およびカウンタークリティークをしっかりと実施できることが最善でしょう
 
このセクションのまとめ
まずはリンクをしっかりと確認しよう。質疑もきちんと活用する
リンクがしっかり説明されていないと思ったら、リンクが成立していないことを説明してみよう
ターンアラウンドを考えてみよう。特に言葉について問うクリティークは、問題解決をしづらくしてしまうかもしれないことを意識しよう
オルタナティブが本当に問題を解決するのか考えよう
カウンタークリティークをやってみよう
相手のクリティークがベースにしている思想や哲学者への批判をしている文献を読んでみよう
・クリティークを相手に、ROTBとFWに集中して議論するのは少々リスキー
 
 お疲れさまでした。ここまででクリティーディベートのための基本的な知識はおさえられていることでしょう!
 
そうとなればさっそく試合です。ここからはもう慣れの世界です。解説も、より実践的な話に入っていきます!!

7. さあ試合で議論してみよう!!~実践編~

7-1. どうやってリサーチしよう??

クリティークの議論は社会学現代思想の本から着想を得ることが多いです。
 
例えばジェンダークォータ制の論題の下に論じられるクリティークは、社会構造的な性差別に関する社会学や、フェミニズムクィア理論といった現代思想の分野がヒントになるでしょう。
 
そして、こうした領域もメリット・デメリット形式のディベートで調査される分野と同様に、新書サイズの入門書から分厚い専門書まで様々にあります。取り組む順番を考えながらリサーチできるといいでしょう。
 
特に現代思想は普段あまり聞かない話が多いかもしれず、入門書から読むと分かりやすいかもしれません
 
現代思想に限って言うならば、様々ある現代思想を網羅的に解説する本には例えば岡本裕一朗「本当にわかる現代思想」があります。田中正人「続・哲学用語図鑑」も入門としてはそれなりに分かりやすく、何よりとっつきやすいはずです(現代思想的な部分はかなり後半の部分に限られるかもしれませんが)。
 
網羅的な解説で興味を持ったトピックがあれば、例えば毎月発刊されている「現代思想」という雑誌や、岩波書店のシリーズ「思考のフロンティア」、青土社現代思想ガイドブック」の関連する号を手にとってみましょう。
 
これらのあたりを探ってから専門書に入っていくというのが、知識レベルの段階に沿った最もオーソドックスな方法のように思います。
 
また、論題が発表されたら、論題のキーワードと「現代思想」「言説」「価値観」「批判」といった言葉を組み合わせて本やインターネットを調べてみましょう
 
もし英語を読むのが苦にならないのであれば、以下のサイトで得られるアメリカの資料集や実際の原稿をみながら、議論のイメージを膨らませてもよいでしょう。
 
アメリカには”Open Evidence Project”という高校ディベート向けの資料集の公開プラットフォームが存在します。Kritikタグがついている資料集はクリティークのアイデアの宝庫でしょう。
https://openev.debatecoaches.org/
 
また、原稿となると、大学ディベート向けの”openCaselist” という原稿公開プラットフォームが存在します。右上の検索欄に”kritik”と打ち込んでみたり、左下から各大学の原稿を閲覧したり、様々に使ってみて下さい。
https://opencaselist.paperlessdebate.com/
 
またアメリカには各チームが原稿を公開する”disclosure culture”があり、その公開原稿の中から資料を検索できる“Debate Cards”と呼ばれるプラットフォームがあります
例えばクィアクリティークのオルタナティブを調べたいのなら、”queer alternative”と検索してみましょう。
http://debate.cards/
 
既にクリティークの核となる思想や哲学者、概念の名前が分かるのであれば、原稿をgoogle検索してしまうのも手です。
例えばアガンベンの難民に関する議論を基にしたクリティークの原稿を探すのであれば、”agamben kritik debate neg”とか、”Agamben kritik filetype:docx”とか検索してみれば見つかるでしょう。
論題が発表されたときに、論題のキーワードをもとにしてこのような原稿サーチをしてしまうのも、とっかかりをつかむための有効な手段です
実際、この方法はかなりいいと個人的には思います。原稿を丸ごと読まずとも、クリティークの核となる哲学者の名前や思想の名前が分かれば最高です。あとは日本語でその関連書籍を読めばいいのですから
 
もちろん、困ったときはSNSや練習試合、大会の場でいろいろな選手やジャッジに聞いてみるのもよいでしょう。これはメリット・デメリットのディベートと同じです。

このセクションのまとめ
・クリティークは現代思想社会学から着想を得られることが多い
論題のキーワードと「現代思想」「言説」「価値観」「批判」といった言葉を組み合わせて本やインターネットを調べてみる
アメリカの資料集や原稿を専用のプラットフォームやグーグル検索を通して見てみると、キーとなる概念や思想が判明することがあって便利
困ったら誰かに相談しよう  
 

7-2. フレームワークやROTBについて資料を用いて議論してみよう

フレームワークではディベートという活動そのものについて、ROTBでは審判の役割についてを議論しますが、フレームワークもROTBも資料がついているといいでしょう
 
ここではディベートの在り方や審判の役割について、議論する際に参考になるだろう領域を紹介します。
 
まず、ディベートに関する研究やエッセイは有力な候補でしょう。ディベートや審判の役割について直接議論をしてくれているのものが、やはり一番直接的でわかりやすいはずです。
 
ディベート研究とでもいうべき文献は日本語のものもそこそこありますが、英語では書籍や論文が山ほどあります*51
書籍や一部の論文は有料のアクセスになってしまいますが、様々な文献が無料で読めるはずです。
通常のリサーチのように、検索エンジンに気になる単語を入れて検索してみましょう
 
また、ディベートや審判について直接述べるのではなく、その一部の側面について述べるのもよいでしょう
 
例えば、みんなで政治について議論をすることに関する資料は、間接的にではありますがディベートについて述べているのと同じです
ディベートはみんなで政治について議論をする活動だからです。
こう考えれば、ディベートとはどういう場所であるべきかを考えるときに、「熟議民主主義」「討議民主主義」「公共空間」「政治的市民」といった概念などはキーワードとして浮かぶでしょう。
 
また、ジャッジの役割については教育者の役割を参照するのが一つのアイデアです
特に学生を対象とした大会であれば、ジャッジが教育者としての側面を持つことは否定できませんし、多くの場合は大会の目的も教育を見据えているのではないでしょうか。
実際、現代思想と教育とは結び付けられて語られることが多く、特にフェミニズム新自由主義といった抑圧を議論する際に大きな役割を果たす思想体系については、教育現場にそれらを如何に良い形で取り込むかは盛んに議論されています*52

 
なお、上記のいずれの領域もそこから資料を自力で探すのが難しい場合は、6-4で紹介したアメリカの原稿や資料集を見てみることが効果的です
実際の文献を読んだアメリカのディベーターが抜き出してきた部分だけを閲覧できるので、ポイントを掴むにはうってつけです。
 
ちなみに少し脱線しますが、ROTBやフレームワークを論じる際、その証拠資料は論題や自分の議論が取り扱っている事柄に根付いているほうがよいでしょう*53

例えばジェンダーを取り扱う議論のROTBなら、ROTBを議論する資料もジェンダーの文脈であれば説得力が増すはずです。
 
このセクションのまとめ
フレームワークやROTBも資料があるといい
・直接ディベートについて話している資料でもいいし、間接的な資料でもいい
 

7-3. 日米でクリティークの受け取られ方が違う?

日米におけるクリティークの受け取られ方の違いを説明します。
これは2020年現時点の日本でクリティークを議論するうえで重要です。
 
いろいろな差はあるものの、ここで取り上げる最たる違いは、日本の大会ではタイプ1のような「相手の議論の内容について論じる」クリティークがアクティビズム的な論法で出されることが多い一方で、アメリカでは違うということです。
 
そもそも、ある議論がアクティビズム的かどうかは論じ方次第です
例えば難民のクリティークも、「不適切な考え方に基づく議論が勝利したら、観客やディベーターはそのような考え方を受け入れてしまい、ゆくゆくは社会に悪影響を及ぼす。だから投票すべきでない」と論じればアクティビズム的になります。
 
難民のクリティークは、日本の実際の大会で難民の議論は上記のように論じられました*54。その一方でアメリカでは、この難民の議論がアクティビズム的に論じられることはほぼありません
それは、このクリティークがあくまでも肯定側が示した政策の価値観に関する議論であり、通常の政策形成パラダイムの中で議論することだと思われているからです
このような日米の不一致は難民の議論に限らず、タイプ1(「相手の議論の内容について論じる」)のクリティークでは多く見られます。
 
この不一致は日米での「政策形成パラダイム」の違いに起因します
「政策形成パラダイム」は、アメリカでは「ディベートを市民の議論教育の場として捉え、ジャッジはある政策について望ましいかそうでないかを決めるもの」程度に捉えられます*55
一方で、日本では「ディベートを政策の決定の場として捉え、ジャッジはある政策についてやるかやらないかを決めるもの」だと説明されます*56
 
望ましいかそうでないかということと、やるかやらないかということは異なります。
例えば、現実に何らかの利益・不利益を引き起こす具体的な変化が求められる度合いが日本的な見方においては高くなるでしょう。
結果、日本的な「政策形成パラダイム」の下では、価値観や前提に異議を唱えるクリティークは「でも人を助けられるなら、価値観に反対している場合じゃないでしょ」とジャッジに言われがちです。
 
しかし、そういったジャッジに対して「ディベートは市民教育であり、ジャッジは試合の外への影響を考えるべき。有害な価値観を社会に広めないために、この場で相手への投票を拒絶しよう」とアクティビズム的に呼びかけることで、価値観や考え方の議論に投票させてきたのが日本の多くのクリティークです。
 
もし皆さんがクリティークをやる場合にはジャッジがどのようなスタンスを採っているのか、相手の政策議論の価値観や前提に対するクリティークを政策形成パラダイムの範囲内で評価するのか等のポイントを、試合の前に確認するのが良いと思われます。それによってフレームワークやROTBの議論の仕方を変えることができるからです。
 
このセクションのまとめ
[次のセクションで一緒にまとめるよ]  
 

7-4. 試合の前に、ジャッジの立場をはっきりさせよう!

前の部分で日米の「政策形成パラダイム」の違いを説明しましたが、それ以外でもクリティークに対する立場はジャッジによって異なります*57

そのため、ディベーターは気になる部分を試合の前にジャッジに確認すべきですし、ジャッジもポイントとなる点については考えておくべきです。
 
ここでは具体的に、選手やジャッジが明確にすべき点を2点説明します。
 
まず、審判のデフォルトの判定枠組み(パラダイム)において、クリティークが自然な投票理由であるかという点が大切です
特に6-1で述べたように、日本的な政策形成パラダイムにおいては、選手からの説明がなされなかった場合にクリティークが投票理由にならないこともあります。
そして2020年現時点においては、このようなパラダイムを採用するジャッジが日本には多いです。ここは審判の立場をはっきりさせておきましょう。
 
また、もしアクティビズムディベートを出す予定がある、もしくは出される予感があれば、ディベートという場を通じた社会変革をジャッジが是とするかは重要です。これはアクティビズムディベートにジャッジが投票できるかを左右します。
実際、筆者はかつてアクティビズムディベートをやり、ジャッジの方から「私はディベートが現実と完全分離された空間であるべきだと考えているので採れなかった」と言われて負けたことがあります。
 
以上2つのことを聞けば十分かとは思います。
ただ、もしあなたが初学者には難しい哲学思想を議論で提出するようなら、その哲学思想を知っているかジャッジに聞いてみてもよいです。
また、ダンスやラップをする予定ならば、そのようなディベートのジャッジ経験やどう評価するスタンスを採っているのかを確かめておくとよいでしょう。

このセクションのまとめ
・日米でクリティークの受け取られ方には違いがある
選手もジャッジも、試合の前にジャッジのクリティークに対するスタンスを明らかにすべき
ジャッジのデフォルトの判定枠組み(パラダイム)において、クリティークを採れるかおよびディベートという場で社会変革を実現してもよいかは特に確認してもいい
 

7-5. 3要素を意識して議論・判定しよう!

3要素を意識して議論するだけでもクリティークの論理構造はとても明確になります

また、ジャッジする側も3要素を基本に判定することが勧められます。そうすることでディベーターとの認識のズレは大幅に減り、議論が円滑に進むはずです。
 
もちろん、3要素だけでなくROTBや論題の肯定の仕方など様々な論点が出されることもあります。そういった場合も、選手は何を議論しており、議論の結果として何が分かったのかという2点を普段よりも明確に伝える努力をするとよいでしょう。

このセクションのまとめ
・クリティークも、3要素を基本に議論や判定をしよう
・ROTBなど様々な論点が出てきても、何をどのような目的で議論しているのか明確にしつつ議論しよう
 

7-6. リンクを分かりやすく伝えよう

クリティークにおけるリンクの議論は丁寧な説明が必要になることが多いです。

 
ディベートで出される議論は基本的に文献に基づいており、その前提や考え方もしくは方法論は社会で一定程度は受け入れられているはずです。
そのような議論に対して、そこに実は問題が潜んでいるのだと論じるリンクの議論は、直感に反していたり、少し込み入った話になったりすることが多いのです。そのため分かりやすく説明するのがよいでしょう。
 
分かりやすく説明するポイントとして1つ挙げられるのは、クリティークが問題視している対象を正確に言語化するということです。対象が広がりすぎたり、ズレてしまったりということには特に注意すべきです。
例えば「経済成長しなければ国家は衰退してしまう*58」という相手の姿勢が問題であるのに「相手の資本主義的価値観を批判します」というと広すぎます。

または「経済成長を目指す姿勢を批判します」というのも少しズレているでしょう。

何を批判しているのかを正確に議論することで相手に逃げられることも防げるため、リンクの議論は少し正確さを心がけることがおすすめです。
 
このセクションのまとめ
・リンクの議論は反直感的であることが多いので、きちんと説明しよう
批判対象を広げすぎず狭めすぎず正確に指摘しよう。そうすることで相手も逃げづらくなるはず

 

7-7. オルタナティブが何を議論しているのか明確にしよう

本稿ではオルタナティブを「代わりとなる考え方や行動」と説明しました
実はオルタナティブとカウンタープランは混同されることが多いです。
しかしオルタナティブは「考え方」などでもありうることからも、両者はやはり異なるわけです。
ここではその違いを説明しておきましょう。
 
そもそもなぜ否定側はカウンタープランを出すのでしょうか。
「肯定側のプランからはデメリットが生じるから」
「カウンタープランでは生じるメリットを肯定側のプランでは拾いきれないから」
様々な理由があるでしょうが、いずれの理由も、問題の原因を肯定側のプランに見出しています
 
ここがポイントです。問題の原因を肯定側のプランに見出しているから、肯定側のプランとは異なるプランを出してカウンターするのです
 
もしも問題の原因が肯定側のプランになかったら、否定側はそこにわざわざカウンターする必要はないのでカウンタープランは出てこないはずです。
 
例えばもし肯定側の考え方がおかしいのなら、否定側はプランのカウンターではなくて考え方のカウンターをしなければいけないのです。
それは代わりとなる考え方であったり、単に肯定側の考え方を受け入れないという選択であったりするはずです。
以上を踏まえると、オルタナティブがどのレベルを論じているのか、前提なのかアクションなのか言葉なのかは個別のクリティークにより異なるはずです。
 
ここでは、オルタナティブの論じているレベルを意識しないことで起こりがちな間違いを2つ見てみましょう。いずれも、相手の価値観を議論するクリティーク(セクション2-1参照)で説明します。
 
まずは「政策に囚われすぎる」ということです。以下の試合展開を想像してください。
肯定側立論:「プランは○○だ!」
否定側立論:「クリティークしよう。肯定側の価値観は間違っている。オルタナティブとして、△△という価値観を提示する」
肯定側質疑:「否定側はどのような政策や政治システムを支持していますか」
こういった状況をたまに見かけます。
もしも判定の枠組みが「最もよい政策に投票する」と既に決められているのならまだしも*59少なくともそういった枠組みを意識せずにこの質問をするのはナンセンスです。
 
「最もよい政策に投票する」という枠組みでもない限り、否定側は政策を打ち出す責任を全く負っていません*60。彼らが議論しているのは価値観です。
また、オルタナティブとして「相手の価値観を受け入れず、投票しないこと」が提示された場合も同様です。
こういったクリティークはどのような政策がいいかということを議論していないのですから、「カウンタープランはなんですか」といった問いかけは無意味です。
 
さて、もう一つの例は、「非論理的なパーミュテーション/同時採択をしてしまう」ことです。
これはセクション2-1や3でも引き合いに出した難民のクリティークを具体例として、以下の試合展開を仮定します。
肯定側立論:「難民認定の基準を緩和して、難民の命を助けよう」
否定側立論:「肯定側の価値観は間違っている。そもそも「基準」という、命に線引きをするシステムを設けていることがおかしい。オルタナティブとして、誰も線引きされず、そこに生きて存在するならば無条件に守られなければならないと考えよう」
肯定側反論:「同時採択しよう。みんなが無条件に守られるべきだと考えつつ、プランはプランで導入しよう」
こういった状況も散見されます。
 
基準などなしに皆が無条件に守られるべきだと考えることと、基準を(緩和するとは言え)設けて誰かを守ることとは、論理的に一貫していないのですから同時採択できません*61

 
ジャッジもそのような同時採択は採用すべきではないでしょう
 
完全に同じ構造というわけではありませんが、次のような場面を思い浮かべて頂ければ、論理が一貫していないということがどういった状況かが伝わるかと思います。
私:「痩せるために食事を抜こう」
あなた:「食事を抜いて痩せようという発想がおかしい。オルタナティブとして、どれだけでも好きに食べるべきだ、食事ではない他の手段で痩せるべきだと考えよう」
私:「では同時採択しよう。どれだけでも好きに食べるべきだし、食事ではない他の手段で痩せるべきだ。でも今回は食事を抜こう」
ここで誤解していただきたくないのは、同時採択という戦術それ自体が不可能なのではないということです。
クリティークされた側は、オルタナティブの目指す世界や考え方が、自分たちのプランの延長線上にあることが示せればそれは同時採択できることになるでしょう。難民の例で言えば、「難民認定の基準を緩和していくことで境界線の無い世界を実現できる」といったことを論証できればいいわけです*62
ダイエットの例で言えば、「一旦食事を抜いてある程度まで体重を落として初めて、好きに食べてもその体型を維持するというオルタナティブが可能になっていく」といった話をするのです。
 
ただ、いずれにせよ、クリティークされた側は単に「パーミュテーションできる」というのではなく、それが論理的に成り立つ選択肢であることを説明できなければいけません*63


このセクションのまとめ
相手が議論しようとしているのは一体何なのか――政策なのか、価値観なのか、前提なのか、個人としてのアクションなのか、はたまた他のことなのかを意識しよう
・そして、オルタナティブが何に対してどうカウンターしているのかを意識してみよう
レイヤーの違う2つのものについて同時採択を考える場合は、その2つが論理的に整合性を保っていなければならない
 
 

7-8. 相手の議論を積極的にkritik outする

ROTBを説明したセクション5-2で話したように、「クリティークの視点にたって議論を丸ごと棄却すること」を「議論をkritik outする」と呼びます。
クリティークを実施する上では相手の議論を積極的にkritik outしようとする姿勢を持つとよいでしょう。
 
例えばセクション2-4では、下のようなクリティークを紹介しました。
例えば日米安保解消の是非を問う論題において「テロリズム」「テロリスト」という言葉が相手側により使用されたとき、それらの言葉が如何に「アメリカ側/敵」という二項対立を作り出して政治の形を歪めてきたかを指摘できるでしょう。
このクリティークを出した際に、相手から反論として「そうはいっても戦争のリスクはいま増大していて……」といった話が明示的にせよ、暗黙の前提としてにせよ出たとします。
そういった場合、戦争のリスクが大きいのか小さいのかを議論してもよいのですが、このクリティーク特有の問題提起に合わせる形で「戦争のリスクを大きいと主張すること」自体の問題点を述べてもよいでしょう。
実際、安全保障を批判的に分析する学問分野(ciritical security studies)では、戦争のリスクが誇張されて表現されることに問題提起をしている論者も多くいます。そのような議論によって相手の議論を「丸ごと棄却する」、つまりkritik outすることを目指せます。
 
また、よりアクロバティックにpermutationやtopicalityといったディベートのしきたりをkritik outすることも考えられます。
 
例えば、ディベート界やいまのディベートのやり方における性差別や女性抑圧を批判するクリティークで実際にみられる戦略の一つに、permutationを「女性に対する男性社会からの暴力」としてみなしてkritik outするというものがあります。
 
詳しく見てみましょう。以下ではこの原稿を例として扱います。
 
まず、このクリティークは大まかにこのような構造になっています。
 
リンク: いまのディベートのやり方は女性抑圧につながっている
インパク: 本来ディベートという場所は女性がenpowerされる場所である
オルタナティブ: 相手が遂行している従来のディベートをこの試合では拒絶するべきだ
 
この文脈においてpermutationとは、すなわち「女性がいまのディベート抑圧されているのは分かった。それは正していかないといけないね、でも今はいったんこれまで通りディベートやろうよ」という主張だといえます。
 
これに対して、このクリティークではこう主張するわけです。
(原文)
The alternative is rejection and we have not given the affirmative the right to turn this no into yes—the act of saying no is political labour that can not be diluted through the affs attempt to sever their own sexist actions and representations
(意訳)
オルタナティブは相手の議論を拒絶することです。この自分たちの"NO"を"YES"に変更する権利を、我々は肯定側に与えてはいません。
"NO"と口に出すことは政治的な行動です。肯定側が自分たちの性差別的な行動や表現から責任逃れしようとしても、私たちの"NO"の意味は揺らぎません。
 
特にセクシャルコンセントの文脈で、"no means no"という重要なフレーズがあります。そこでは、女性が"no"といったときに男性、ひいては男性社会がその"no"を絶対的な"no"として解釈しないという暴力が批判されています。
ここでは"no means no"は、なかったことにされる女性の声を取り戻そうという意思表明なのです。その理念をpermutationにカウンターさせて、permutationそのものに倫理的問題があるといってkritik outするのです。
 
こういったクリティークでは、5-3で述べたようにディベーター自身の体験が社会の大きな構造と結び付けられます。
例えばこのクリティークを実施する女性のディベーターは語りなどを通じて、社会の性差別構造と自らのディベートコミュニティでの抑圧体験を結び付けるでしょう。
そのうえで、試合中の相手チームの行動や議論だって、社会のおおきな抑圧構造の現われの一つだと主張するのです。permutationという行為と、社会全体における女性の声の排除とを同じものとして捉え、permutationをkritik outするのです。
 
同じような発想は多くあります。例えば帝国主義を批判するクリティークは、permutationを「他者のアイデアを強奪する行為(=cultural appropriation)*64」だとみなしてkritik outできるでしょう。ジェンダーセクシュアリティを扱うKでは、topicalityは一種の「規範(=normativity)」だとしてkritik outされるでしょう。*65

 
このセクションのまとめ
・クリティークの価値観に則って、相手の議論をkritik outしよう
・permutationやtopicalityの議論に対してその内容の「正誤」を争うではなく、その内容や議論形式が持つ「思想的な意味合い」に着目してkritik outを仕掛けてみよう
 

8. おわりに

つい数年前までは「クリティークなんて立たないよ」と言われていたものです。それが今となっては試合でクリティークが出されるや否や、政策を議論することが大切だとかオルタナティブはなんだとか、そんな議論が両チームからたくさん出てくるようになり、審判もそれを慣れた顔で判定するようになってきました。徐々にではありますが、日本語ディベートコミュニティは変わっていっているのでしょう。
 
一方で、日本にはクリティークを説明する文献がまだまだ足りません。
私は高校生1年生の頃にクリティークに興味を持ったものの、1990年代クリティーク黎明期の、しかも英語の論文しかありませんでした。少し熱心に読んではみたものの、あれで勉強しろというのはなかなか難しかったわけです。
しかし一方で、ここで述べたことよりももっと膨大な量の知識や見識がアメリカを中心に海外のディベートコミュニティには存在しており、海の向こうではみんなそれを参照できます。
日本でディベートをやっているからクリティークが学べないなんていう状況は間違いなく、変わっていくべきです
これはクリティークに限った話ではありません。ディベートについての何から何まで、日本には海外の情報が全然入ってきていないのが現状です。
例えば脚注56でも述べましたが、アメリカでは1980年代までしか主流ではなかったジャッジパラダイムが、日本では未だにメインストリームです。盛んな議論の結果としてそうであるならばまだしも、海外の文献なんて日本ではほとんど読まれておらず議論もされていないのが現状です。
2001年に出たアメリカのadvanced debateという書籍が2010年頃に有志により翻訳されていたことはあるにせよ*66、それ以降そのような動きはほとんどありません。

だからもしあなたがクリティークに限らずディベートについて何か勉強したときには、ぜひどこかで公開してください。間違っているかもしれなくても大丈夫です。何もないという状態が一番まずいのです。あればみんなで議論ができるのです。間違っていたとしても、誰かが間違いに気づいてくれるはずです。何もなかったら、我々は何も学んでいけないのです。私も今後もっとがんばります。
 
そして最後に、これだけは覚えておいてほしいです。クリティークだって結局のところ、議論したいことのある誰かが、それをディベートの場で伝えようとしているだけなのです。
クリティークもそうでない議論もこれは同じです。
だから、クリティークは難しいとかよくわからないと思ってしまうことはとても勿体ないことだと私は思います。
 
ここまで読んでくれてありがとうございます。この記事がディベートの可能性を広げること、そして何より、クリティークに何らかの形で取り組む方の支えになることを切に願っております。そして、ここから先はクリティークの無限の可能性に、ぜひ自ら踏み込んでいってみてください。そこには新たな議論、そして新たな自分との出会いが待っているでしょう。それでは、よい旅を!
 

9. クリティークについての参考文献

以下で紹介する参考文献は2020年11月時点でアクセス可能なものです。
また、クリティークに関連する学問領域や思想における参考文献は、脚注に多くまとめられておりますので、そちらもぜひご覧ください。
書籍
"Finding Your Voice": 政策ディベート全般の優れた入門書。kritikの説明も掲載されている

"Speech and Debate as Civic Education": スピーチやディベートの市民教育的意義を説く論文を多数収録した書籍。アメリディベートの多くのジャッジ`のフィロソフィーに影響を与えた

"The Future is Black: Afropessimism, Fugitivity, and Radical Hope in Education": 教育学の視点からafropessimismを捉える書籍。第12章に、従来のコミュニケーション様式には則らないディベートフレームワークを、afropessimismを扱いつつ擁護する論文が収録されている

ブログ
クリティークについて書かれている記事が存在するブログを紹介します。自身で作成したクリティークの解説をしているものから、クリティークを批判的に検証しているものまで幅広くあります。 

The 3NR | a blog about high school debate

刺さる議論は蜜の味

愚留米の入院日記

その他のインターネット上の情報

redditのpolicy debateサブチャンネルでは、多くのディベーターが親切に質問に答えてくれます。筆者も何度かお世話になっています。海外ディベーターの友達も作れました!

また、有志が管理しているクリティーディベートwikiがあります。まだ開設されたばかりのようですが、今後は充実していくかもしれません。

 
 

*1:第23回(2018年)ディベート甲子園中学論題「日本はすべての飲食店に対して、店内での全面禁煙を義務付けるべきである。是か非か」における代表的な議論

*2:第22回(2019年)JDA秋季大会論題「日本は最低賃金を大幅に引き上げるべきである」における代表的な議論

*3:第22回(2017年)ディベート甲子園高校論題「日本は企業に対する正社員の解雇規制を緩和すべきである。是か非か」における代表的な議論

*4:政治学と言われる学問分野や優生思想批判の文脈では、健康という概念が批判的に検証されています。例えば八木晃介「健康幻想(ヘルシズム)の社会学―社会の医療化と生命権」(http://www.arsvi.com/b2000/0810yk2.htmに一部内容が紹介されています)や高尾将幸「「健康」語りと日本社会:リスクと責任のポリティクス」を参照ください

*5:第22回(2019年)JDA秋季大会決勝戦において優勝した否定側が提出していた議論です。最低賃金による収入が生活保護の給付水準を下回るといういわゆる「逆転現象」に関するメディアの言説を分析し、問題提起をしていました

https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2019/12/f22_ts.pdf

*6:政府による規制緩和や福祉切り捨てには「新自由主義」と呼ばれる思想が強く結び付いていることが指摘されています。「新自由主義」と検索して頂ければ詳しい解説は山のようにありますが、D.ハーヴェイ「新自由主義――その歴史的展開と現在」は非常に参考になります

*7:クリティークが盛んに提出されるアメリカでは「クリティークの体系的な解説を書くことなんてできない。書いてもすぐに新しいタイプのクリティークが出てくるんだ」と言う人もいます

*8:かつては価値クリティーク、言語クリティークといった分類もありましたが、現在はほぼ使われません

*9:クィアスタディーズという学問分野における「性別二元論」や「ヘテロノーマティヴィティ」という言葉がキーワードです。そのまま検索すれば多くの解説を見つけられますが、加藤秀一「はじめてのジェンダー論 」は入門に良いようです

*10:G.アガンベンという哲学者の思想を中心に、このような議論の研究がされています。第20回(2017年)JDA秋季大会準決勝第二試合での否定側の議論が参考になります

https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2018/03/F20_SF2_TS.pdf

*11:学問や科学のフレームワークの客観性には多くの論者が異議を唱えています。例えばS.ハーディング「科学と社会的不平等: フェミニズム,ポストコロニアリズムからの科学批判」は分かりやすい書籍の一つです。また、岸政彦らの「質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学」は社会学における個人の語りの重要性を丁寧に示してくれています

*12:

ディベートにおける早口や専門用語の多用といった「ルールには明記されていない手続き的な部分」や、証拠資料の要件といった「中立的に見えるルール」が実際には排除を生んでいると論じた文献として、例えばEde Warner Jr.の” GO HOMERS, MAKEOVERS OR TAKEOVERS? A PRIVILEGE ANALYSIS OF DEBATE AS A GAMING SIMULATION”があります https://debate.uvm.edu/CADForumGaming2003.pdf

また、言葉がいかに権力をはらみ、排除を生んでしまうのか。そしてそれにどう立ち向かうべきかを論じた非常に刺激的な書籍として、個人的にはこれはぜひとも読んでほしいです 

*13:アメリカの著名なディベート学者が論じています。興味のある方はこちらを参照してください。G. Mitchell ”Pedagogical possibilities for argumentative agency in academic debate” http://www.pitt.edu/~gordonm/JPubs/ArgAgency.pdf

*14:アドボカシーという言葉には色々な意味がありますが、②のようなクリティークの文脈では「ある立場の人たち、特に弱い立場にある人たちの権利を主張するための意思表明」だと理解すればよいでしょう

*15:NDTおよびCEDAは、アメリカ最大のアカデミックディベート2大会です

*16:NDTおよびCEDAにおける、2012年から2013年の論題は下記のようでした。

”Resolved: The United States Federal Government should substantially reduce restrictions on and/or substantially increase financial incentives for energy production in the United States of one or more of the following: coal, crude oil, natural gas, nuclear power, solar power, wind power.”

*17:アメリカのアカデミックディベート大会では各チームが立論を公開するのが通例となっており、opencaselistというサイトで実際の原稿を年ごとに閲覧できます。下記リンク先の“home aff”が 2013NDTを制覇した1ACです

また、優勝したディベーターがどのような思いでこの議論をまわしたのかを語るpodcastもあります
Radiolab “Debatable” 

*18:こうしたkritik debateの実際の様子が、いくつかまとめられたyoutubeリストがあります。もちろん収録されている例がciritical affirmativeの全てではなく、あくまでも個別の実例が集まっているのみです。ただし注意点として、このリストの名前にもある「performance K」という呼び方は、近年批判されつつあり、その使用は得策ではありません

*19:例えば、齋藤純一は著書「公共性 (思考のフロンティア)」の中でこう述べます。「新しい価値の提起は、言説の政治という形をただちにとるとはかぎらない。それは「ディスプレイの政治」とよぶべき形をとることもある。つまり、価値観を異にする他者に対して訴えの言語、説得の言語をもって向き合うというよりもむしろ、別様の暮らし方の提示、別様のパフォーマンスの提示(障碍者演劇など)、別様の作品の提示といったスタイルをとる。そうした別様の世界の開示は、それを見聞きする者たちによって言説のレヴェルに翻訳されたり、それを倣るミメーシスの実践を触発していく」

*20:例えば、いとうせいこうが歌にのせて「平和自由宣言」を朗読していますが、これはある種の「政治的」なメッセージを持っているでしょう。実際の様子が下記で観られます

*21:ポストコロニアリズム理論や批判的言説分析(Critical Discourse Analysis)と呼ばれる学問が応用されています。例えば下記の論文は分かりやすいです。新妻絢「二項対立的言説に抗するエドワード・サイードヒューマニズム的批判―2001年アメリ同時多発テロ以降のアメリカ批判を通じて―」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaces1962/2006/45/2006_29/_pdf/-char/ja
また、実際のクリティークの原稿が英語版ですが入手できます。興味のある方は御覧ください http://open-evidence.s3-website-us-east-1.amazonaws.com/files/Terror_Talk_Kritik___Gonzaga.docx

*22:例えば本文の冒頭で挙げた例のうち、最低賃金に関するものはここでのいずれの分類にも属さないと考えられます。また、第20回(2017年)JDA秋季大会の決勝戦では肯定側は「難民受け入れは国家の義務だから、メリット・デメリットに関わらずやらなければいけない」と論じています。これは具体的な政策の話をしているものの、メリット・デメリット方式から脱却しているため、やはりクリティークの一種だと言えるでしょう https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2018/03/F20_F_TS.pdf

*23:疑問に思われた方は、「自分がなぜメリット・デメリットの議論をしているのか」ということもぜひ考えてみて下さい

*24:本解説ではクリティークを簡潔に枠にはめて説明しますが、クリティークは既存の枠組みや定式化をすり抜ける可能性を常に秘めており、また、秘めているべきでしょう

*25:オルタナティブは、メリット・デメリット方式のディベートで提案されるプランやカウンタープランのようにすぐさま結果に結びつく具体的な行動である必要はありません。クリティークの文献の中には、オルタナティブをカウンタープランのことだと説明するものがありますが、それは完全な間違いです。例えば、このあとすぐ紹介するアガンベンクリティークでは、オルタナティブは「生きる権利が無条件に保障される世界を目指す」ことです。オルタナティブの論じ方はセクション7-7で詳しく解説します

*26:日本の無戸籍者の問題は例えばこちらを参照ください

*27:セクション2-2で説明したように、この議論は黒人のクィア2人から提出されています

*28:実際問題としては、リンクの部分でディベート界や社会全体がどれほど差別的であるかを具体的に説明することになるはずなので、差別の深刻さ自体はそこで十分に伝わっているはずです。インパクトの部分では、ディベートという場における差別を一番に解決すべき理由など、差別抑圧への意味付けがなされてもよいでしょう。人命を救うメリットは何も重要性など説明されなくてもその大切さは分かりますよね。しかし多くの選手が重要性で日本政府の役割を論じ、メリットに特別な意味づけをしています。これと同じことです

*29:このようなオルタナティブの議論は。セクション5-2で解説されているロール・オブ・ザ・バロット(ROTB)の概念をふまえれば、より分かりやすくなります

*30:「本稿では」と断ったのは、アクティビズム的なディベートの日本語文献は未だほとんどなく、命名についてのコンセンサスが取れていないからです。アメリカのディベートコミュニティではこういった議論を”activism”という単語で指すことが多いように思えますので、今回は「アクティビズム的なディベート」と呼びます。なお”activism”という単語自体は元来「特定の思想に基づき実際に行動を起こす主義」を意味します。政治活動家のことをアクティビスト(activist)とも呼ぶことを思い出してください

*31:アメリディベートではROTBもしくはROBと略されることが一般的なので本稿もその表記に則ります

*32:ディベートをどんな場所として捉えるかということには、セクション5-5で説明する「フレームワーク」という要素が強く関わります

*33:1ACは下記リンク先の” Home Aff”で読めます

*34:"performance debate"という人種中立的にみえるフレーズが実際は黒人ディベーターと結び付けられ、"debate"という単語と対比する形で用いられることで、人種抑圧を生んでいるという指摘が、2019年の論文でなされました。詳細を知りたい方はこちらを参照下さい Nick "The racial coding of performance debate: race, difference, and policy debate" https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/10511431.2019.1672028?af=R&journalCode=rafa20

*35:2014年CEDA準優勝チームの、ラップを取り入れた1ACを下記リンク先で観られます。英語ですが、自動字幕を付けるなどしつつ、ぜひ雰囲気だけでもよいので感じ取ってください

*36:ヒップホップの政治的な側面を学ぶ上で次のページは非常に参考になります。本当に興味深いのでぜひ読んでみて下さい。本城誠二「ヒップホップという亀裂」

また、ヒップホップの政治的な側面も含め、その歴史文化を紐解いた書籍として下記がおすすめです

*37:伝統的なディベートの形式や方法がいかに抑圧を生むのかという議論の例はセクション2-2にありますので参照ください。もちろん、ここについては様々な研究者が議論を重ねており、アクティビズムディベートの問題を論じる学者もいます。Coverstone” An Inward Glance: A Response To Mitchell's Outward Activist Turn” 

*38:この傾向は抑圧や差別が社会に理解されていないほど強くなるでしょう。こういった姿勢とは対照的な姿勢として、社会学者の岸政彦は著書「マンゴーと手榴弾」でこう述べます。「生活史を聞き取ることで私たちは、私たちの人生のもろもろが、ひとりだけの問題ではなく、社会的な問題であること、あるいはまた、社会的な問題は、それぞれひとりひとりの人生のなかで経験されることに気づく。私たちは、歴史と構造によって、私たちの人生の多くの部分を規定されてしまっている。そういう意味で私たちはひとりきりではない。そして私たちは、そうした歴史と構造のなかで、それぞれ固有の人生を送らなければならない。そういう意味で私たちはひとりきりである。」

*39:「語り(narrative)」はその重要性が多く研究されています。例えばこちらは語りが拓く社会運動の可能性を、不登校の問題などを通じて論じています。貴戸理恵「「当事者の語り」の理論化に向けて――現代日本の若者就労をめぐる議論から――」http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/31/kido2007.pdf

*40:NDTおよびCEDAにおける、2012年から2013年の論題は下記のようでした。

”Resolved: The United States Federal Government should substantially reduce restrictions on and/or substantially increase financial incentives for energy production in the United States of one or more of the following: coal, crude oil, natural gas, nuclear power, solar power, wind power.”

*41:ここで紹介した実例は次のリンク先の「音楽を使ったdebate<Project of Louisville>」というチャプターで詳しく説明されています。比喩としての論題肯定やヒップホップを交えたディベートの観戦レポートであり、興味深いです。是澤克哉「2004年度日米交歓ディベート活動報告」 http://old.japan-debate-association.org/exchange/04r.htm

*42:「抑圧に抵抗するROTB」を出されたときに「政策を選ぶROTB」を出すことが果たして戦略的に正しいのかという問いはここでは考えません

*43:ディベートコミュニティにおける女性抑圧は、世界的に非常に議論されています。例えば米アカデミックディベートの女性ディべーターの状況が述べられています。Griffinら ” Women in High School Debate” https://web.archive.org/web/20060828232600/http://groups.wfu.edu/debate/MiscSites/DRGArticles/Griffin&Raider1989PunishmentPar.htm

また、パーラメンタリーディベートの文脈での実証研究もあります。

*44:ディベートコミュニティの女性抑圧を扱ったクリティークとして、次のリンク先の原稿が参考になります。セクション7-8でも紹介します http://justin-green-0hxl.squarespace.com/s/Feminism-K-Petra.docx

*45:このようなFWの例としては、第20回(2017年)JDA秋季大会準決勝の否定側の第二立論を見てみましょう。「政策の結果をいくら正確に分析できたとしても、価値観や考え方が誤っていれば、悪い結果を引き起こす政策を選んでしまうだろう。政策分析は道具に過ぎないのだ」と説明して、ディベートを「政策の結果を比較する場所」から「価値観や考え方を検証する場所」に移行させています。実際のトランスクリプトはこちらです https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2018/03/F20_SF2_TS.pdf

*46:ジャッジ全員が試合で出されたROTBやFWに則るとは限りません。ジャッジによって議論の評価が分かれるように、ROTBやFWもジャッジによって評価が異なります。ROTBやFWに納得しなかったジャッジは、自らのデフォルトのROTBやFWで判定を出すでしょう

*47:立証責任があるとは言え、どの程度の立証責任が課されるかについてはジャッジによって異なります。クリティーク側とそうでない側に同等の立証責任を課すジャッジもいれば、クリティーク側に強い立証責任を求めるジャッジもいます。もちろん逆もあります。2020年時点の日本では、メリット・デメリット方式を初期状態とし、クリティーク側に比較的強い立証責任を求めるジャッジが多いように見えます

*48:ディベート甲子園では、大会ルールの第4条第4,5項によりROTBとFWを定めていると解釈できます。ルールはこちらからみられます

*49:実際にジェンダーおよびセクシュアリティに関係するクリティークを実施したディベーターの解説が分かりやすいです。下リンク先の「1-2. 性別二元論 (gender binary)」の項を参照ください

*50:実際の原稿をこちらで見ることができます。Cap Kという部分にあたります http://open-evidence.s3-website-us-east-1.amazonaws.com/files/Debating_Race_7WK.doc

*51:このクリティーク解説の中で紹介したいくつかの英語論文は、そこから実際の試合で資料が引用されるなどしている代表的な論文ばかりです。まずはここで紹介したものから読んでみていってもよいかもしれません

*52:新自由主義と教育の関係を考察し、新自由主義に抗する教育を考えた書籍として佐貫浩「学力と新自由主義―「自己責任」から「共に生きる」学力へ」があります。なお新自由主義クリティークをするなら、新自由主義が政治空間を無力化することを論じた下記の書籍は外せないでしょう

*53:本当はROTBの論じ方も解説したいのですが、それだけで1つの記事が書けてしまうほどなので今回はなくなく省略致します。ただ、以下のサイトは非常に参考になります。ぜひ選手の方だけでなくジャッジの方もgoogle翻訳やdeep Lを使ってでも参照ください

*54:第20回(2017年)JDA秋季大会準決勝第二試合を参照ください https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2018/03/F20_SF2_TS.pdf 

*55:アメリカでは、日本のディベート甲子園のような、政策をやるかやらないかジャッジが政策決定者のつもりで考える試合の仕方のことを”traditional policy”と呼んで”policy making paradigm”(「政策形成パラダイム」)とは区別します。この”traditional policy”を採っているジャッジはアメリカでは少数派です

*56:アメリカでも1970〜1980年代頃までは日本的な政策形成パラダイム(“traditional policy”)が主流でしたが、様々な議論により移り変わりました。こういった変化を促した文献は日本ではほとんど参照されていないのが現状ですが、例えば次のようなものがあります。Gehrke ”Critique Arguments as Policy Analysis: Policy Debate Beyond the Rationalist Perspective” https://scholarcommons.sc.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1250&context=engl_facpub

*57:なお、アメリカ内でもジャッジの振れ幅は大きいです。

アメリカではジャッジのフィロソフィー(試合に対する考え方)が公開されており、"Tabroom"というサイトで見ることができます。

 例えば「肯定側はアメリカ政府を主体とした政策を守る。否定側は現状維持かカウンタープランをやる。これ以外は認めない」と宣言しているジャッジは未だにいます。

John Katsulas; https://www.tabroom.com/index/paradigm.mhtml?judge_person_id=6542

一方で「論題を字義通り肯定しないクリティカルアファーマティブに対して、否定側がトピカリティを読んだら、私はスタバに行って帰ってきて肯定側に投票する」とかつて宣言していたジャッジもいます(現在はフィロソフィーを変更済み)。この人は本稿でも紹介した、 2013年NDT/CEDAにおける優勝チームのメンバーの一人です

Elijah Smith; https://www.tabroom.com/index/paradigm.mhtml?judge_person_id=11733

*58:経済成長を避けては通れない目的だとする姿勢には多くの論者が異議を唱えています。例えばC.ダグラスラミス「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」は、経済成長を目指してやまない姿勢を環境問題、民主主義、戦争平和問題に結びつけて論じる興味深い書籍です。

佐伯啓思も著作の中で「経済成長至上主義」を批判しています

*59:1NC直後のプランもクリティークも出ている段階で、判定の枠組みをこう決めるジャッジはそこまでいないとは思います。ただ、前述のように日本的な政策形成パラダイムが主流の2020年現時点では、それなりにいるかもわかりません

*60:そもそも肯定側も含め、純粋なルールとしては、試合が始まった時点では誰もそんな責任を負っていません

*61:ダートマス大学ディベートコーチScottがsecurity Kを例にとって、このパーミュテーションの話を説明してくれています。

なおsecurity Kとは、安全保障に関係する考え方に異議を申し立てるクリティークです。例えば、安全保障の問題は他のいかなることよりも無条件に優先されていると論じます(「アジアの平和を守るという安全保障の言い分によって、沖縄の海洋汚染や騒音被害が正当化されている」等)。

また、そもそも安全保障上の認識は全て社会が構築したものであり、そこに論理的な正当性はないのだということも論じられます。セクション2-4で紹介した「テロリスト」という言葉に対するクリティークはそれに近いでしょう。生じた出来事を「テロ」と呼んで初めて、それが国同士の衝突の文脈に位置づけられるのだと論じられるわけです。

興味のある方は、下のサイトを参考にしてみてください

また実際の原稿はこちらから見れます http://open-evidence.s3-website-us-east-1.amazonaws.com/files/Security_K___Six_Week___ENDI_2010.doc 

*62:そしてこのようなパーミュテーションの対策として、クリティーク側も「国家というものは境界線を前提としたシステムだから、日本という国家が存在する限り、認定基準の緩和は境界線のない世界を実現できない」といった議論を用意しておくべきです

*63:Soltの ” Demystifying the Critique”という論文の「クリティークの考え方を支持しつつプランは実行するというパーミュテーションがクリティークには有効だ」という主張が大きな誤解を招いています。あの論文は、どんな状況でもパーミュテーションができるとは決して言っていません。あの論文を引用したからといって、非論理的なパーミュテーションは認められるわけではありません。なおSoltの元論文は次のリンクより読めます

https://web.archive.org/web/20180123153631/http://groups.wfu.edu/debate/MiscSites/DRGArticles/Solt1993Health.htm 

*64:文化盗用ともいわれるこの概念は下記の記事で分かりやすく解説されています

*65:セクション9で参考文献としても紹介している"Finding Your Voice"のチャプター"The 1AC"で例示されている"performance debate"は、このnormativity Kを取り扱っています。立論の流れが比較的詳しく書かれているのでおすすめです

*66:こちらのブログで参照できます。ぜひ読んでみてください