クリティークってなに!?~よくわかるクリティーク解説~
- 1. クリティークってなんだ??
- 2. 具体的にはどんな議論があるの??
- 3. なんでクリティークをやるの?
- 4. クリティークはなにでできているの??~基本の3要件~
- 5. ディベートが世界を変える!?~アクティビズムディベート入門~
- 6. クリティークがきた!どうしよう!?~反論の仕方~
- 7. さあ試合で議論してみよう!!~実践編~
- 8. おわりに
- 9. クリティークについての参考文献
1. クリティークってなんだ??
普段のディベートの試合でみなさんはこんなことを議論すると思います。「飲食店の全面禁煙化により国民の健康を守ろう」 *1
「最低賃金の引き上げによって貧困を縮小させよう」 *2
「解雇規制を緩めて経済を活性化させよう」*3
「健康という概念が社会の在り方を歪める。だから健康を守ろうという物言いは認めるべきでない」*4
「解雇規制緩和の根底にある考え方こそが派遣切りや生活保護切り下げを招き、日本を瓦解させた。この考え方もろとも、解雇規制緩和を拒否すべきだ」*6
こうした「メリット・デメリット方式のディベートから逸脱するタイプの議論」を「クリティーク(kritik)」と呼びます。
これらの議論は、ある政策を導入した際の影響を直接論じるものではないため、いわゆるメリット・デメリット方式のディベートでは扱いづらい類のものです。
2. 具体的にはどんな議論があるの??
さて、「メリット・デメリット方式のディベートから逸脱する」などと格好良く言ってみたはいいものの、具体的には何を議論するのでしょうか。2-1. 相手の議論の内容について論じるもの
相手の議論の分析方法や隠れた前提、基盤となる価値観について論じます。肯定側の議論としては「認定基準を緩和し、多くの難民を受け入れることでより多くの人命を保護しよう」という主張が主流です。
その結果、ディベートやディベート界という目の前の世界で起きている抑圧から目を逸らしながら政策の議論を続けることが疑問視され、いまこの場所で社会に何ができるかを問うことになります。
否定側であれば、肯定側が個人としてすべきことを何ら提案していないという事実を批判します。
論題はアメリカ政府の新エネルギー政策を問うものでした*16。黒人かつジェンダーマイノリティである2人から成る肯定側は「我々はディベート界でも実際の社会でも差別されている。今この場所で論じるべきは政府がエネルギーをどうすべきかではなく、ディベート界がこの差別にどう立ち向かうべきかということなのだ。我々はディベート界の意識をこの場で変えるために、個人として議論する」と論を展開し、試合を制しました*17。
2-3. 政府以外の立場に則って論題を肯定するもの
何らかの問題意識に基づき、日本政府ではない立場から論題を肯定する議論です。これは特に「クリティカルアファーマティブ(k aff, critical affirmative)」と呼ばれています。「『倫理的でないから』と言って代理出産を認めない日本政府の立場は、当事者の声を無視している。そもそも我々は科学技術によって幸せになる権利を有している。だから政府は認めるべきだ」
なぜなら、一般的な市民や当事者が政治を議論する方法は、普段の政策ディベートのような「XX年からXX法に基づく……XX%の人員を……」などと細かな政策の議論をすることに限られないからです。
2-4. 相手の行動や発した言葉を批判するもの
相手の行動や発した言葉について、それらが抱える前提やそういった行為そのものが持つ影響を議論します。4. クリティークはなにでできているの??~基本の3要件~
いよいよここからはクリティークを構成する要素を解説します*24。構成要素さえ知ってしまえば、メリット・デメリットの議論と同じように簡単に議論できます!!それではさっそくいってみましょう。では、これらが一体なんなのかを見ていってみましょう。
1.ここではまず、相手の主張が則っている分析方法について、そこにセクシュアルマイノリティがあたかも存在しないかのように振る舞っているという問題が潜んでいると指摘しています。
2.そして、その問題はセクシュアルマイノリティの政治からの排除を生むから深刻だと説明しています。
3.最後に、それを認めるべきでないという姿勢を提示しています。
1.ある特定の物事に問題が潜んでいるのだと指摘する部分=リンク
2.その問題がなぜ深刻なのか、なぜ重要なのか=インパクト
3.リンクとインパクトをふまえた、代わりとなる考え方や行動=オルタナティブ*25
セクション2-2では例として2013年のCEDA/NDTを制した議論、「自分たちはディベート界でも実際の社会でも差別されている。今ここで論じるべきは政府のエネルギー政策ではなく、ディベート界が差別にどう立ち向かうべきかということである。自分たちはディベート界の意識をこの場で変えるために、個人として議論する」という主張を紹介しました。
先ほどは省略しましたが、このような議論は「差別に立ち向かうために自分たちの議論に投票してくれ」と続くことがほとんどなので、これも含めて3要素に則り整理してみましょう*27。
5. ディベートが世界を変える!?~アクティビズムディベート入門~
5-1. アクティビズムディベートって何??
直前のセクション4の最後にて、「現在のディベートやディベート界の在り方を論じる」クリティーク(タイプ2)を3要件で整理しました。そのときのオルタナティブは「差別に立ち向かうために自分たちの議論に投票する」ことでした。このように、クリティークの中には「いまこの瞬間この場所から世界を変えるために自分たちに投票してくれ」と審判に請願をするものがあります。
また、ディベートを聞いている人たちも、ジャッジが理由をつけて出した判定を聞くことで他人の考え方を学びうるでしょう。
このようにジャッジの判定は現実の社会に影響しているのです。
5-2. 審判は何のためにそこにいるのか?~ロール・オブ・ザ・バロット~
まず、アクティビズムディベートも基本は3要素で整理できます。先ほど「現在のディベートやディベート界の在り方を論じる」クリティーク、つまりアクティビズムディベートをリンク、インパクト、オルタナティブで整理しましたよね。やはり3要素は大切なのです。アクティビズムディベートはディベートという場所を社会変革の場所として捉えます*32。そして「社会変革の場所」を司る審判に対し、変革への協力を求めます。
変革への協力を求めるのは、先ほど述べたようにジャッジが教育者としてであれ、ディベートコミュニティの一員としてであれ、あるいは有権者や政治的市民として、そして一人の人間として、その判定/選択に影響力を持つからです。
この協力要請をするために、アクティビズムディベートではROTBが議論されます。
通常、審判の役割は「論題が肯定されたら肯定側に、そうでないなら否定側に投票すること」もしくは「最もよい政策を提案した側に投票すること」を確認してください。
しかし、例えば社会の差別構造を変革するためのアクティビズムディベートにおいては、審判の役割は「よりよく差別に立ち向かった側に投票すること」であると論じられます。
また、資本主義を打ち倒すことが試合の目的ならば「最も効果的に資本主義に抵抗した側に投票すること」と論じられます。
例えばROTBが「最もよく資本主義に抵抗した側に投票すること」ならば、通常はメリット・デメリットにどう影響するかという観点で評価されていた試合の議論が、資本主義に抵抗できているかという観点で評価されます。
純粋な政策の議論としては評価されていた主張も、資本主義に貢献する議論であれば、このROTBの下では棄却されます。
このように、クリティークの視点にたって議論を丸ごと棄却することを、議論を”kritik outする”と言います。
(原文)to endorse the team that best methodologically and performatively brings debate home(意訳)最も優れた方法、優れた行為によってディベートをホームにしたチームを支持すること
そのチームはディベートコミュニティを含めた社会全体にはびこる差別を指摘し、苦境の中で生きるために人間には「家」が必要だと論じました。
そして不安定な家庭環境で育った自分はディベートの場で新しい出会いを重ね、自分にとっての家族を見つけた、だから自分にとってディベートコミュニティこそが「家」すなわち「ホーム」なのだと説明しました。
しかしディベート界も社会と同様に差別的で、従来のディベートの形式や慣習も構造的な暴力を受ける人々のリアルな生活を疎外しているんだ。だからいま私はここでディベートをホームにするためにディベートするのだ、そしてジャッジもコミュニティの一員としてこれを支持してくれと主張しました*33。
このようにROTBは自分たちが取り上げた問題に強く結びつく形で議論がされるのです。
5-3. ラップするディベーター?ディベートするラッパー?~多様なコミュニケーション様式~
政府以外の立場で議論をするクリティークの話をした際、ディベートにダンスや歌を取り入れることがあると述べました。
ここでは、そのような行為をディベートに取り入れる際のポイントを説明します。なお、こうしたディベートは一部で「パフォーマンスディベート」と呼ばれていますが、この名称は不適切なのではないかと論じられ始めており、本稿では用いません*34。
アクティビズムディベートの目的はしばしば抑圧への抵抗、社会の変革です。ダンスやラップが抑圧の抵抗に適したコミュニケーション形式ならば、それを取り入れない方が不自然でしょう。むしろ取り入れるべきです。
ラップはしばしば貧困といった「恵まれない」環境にいる人たちにとって武器になってきた側面があります。
「自分の周りにはこんなに暴力があふれている」
「おれの街には救急車なんて呼んでも来てくれない」
「男はいつだって女の私たちを甘く見て見下してくる」
こうした主張はラップという形式が持つ強み――怒りの表しやすさ、ビートのリズムに合わせた言葉のスムーズな伝達と相性がよかったのです。政治的な問題を語る、その深刻さを伝えるうえでラップは効果的なコミュニケーション様式なのです。
これは、政策が引き起こす具体的な変化を論じるときに、しっかりした論理構成で冷静に話すことが有効なコミュニケーション様式であるのと同じことです。
ラッパーは政治について、効果的な形式で語っているのです。メリット・デメリットのディベーターも政治について、効果的な形式で語っているのです。もしそうであれば、両者は同じ土俵に立って政治について議論ができるはずです。ラップするディベーターとディベートするラッパーを見分けることができますか。できないはずです。
これはラップに限らず、幅広いコミュニケーション様式に言えることです。高度に論理指向で冷静で「客観的」なコミュニケーション形式が特別扱いされる筋合いはないのです。論点Aとか現状分析とか、そういう言葉で整理して話すことがいつだって求められるわけではないのです。
なぜそのようなことをするのでしょうか。それは、多くの場合に個人の体験は社会の構造や問題と結びついて初めて、抑圧や差別といった構造的暴力の文脈のもとで解釈してもらえるからです。要は、自分が感じた抑圧や差別を社会やコミュニティとの関係性を一切なしで語ってしまえば、「あなた個人の問題じゃん」と言われて終わってしまう可能性があるのです*38。
5-4. 論題をどう読んで、どう肯定する??~k affの論題へのスタンス~
肯定側でアクティビズムディベートを実施する際には、「論題をどう取り扱うか」という点がポイントになる場合が多々あります。というのも、肯定側が仕掛けるアクティビズムディベートでは論題を字義通りの意味では肯定しない場合があるからです。
どのようにして論題を肯定しているのかと不思議に思うかもしれません。
ここにはアクティビズム的なクリティカルアファーマティブ特有の、論題へのスタンスがあります。
これを知らずにクリティークは語れないでしょう!早速みていきます。
そうすると、例えばディベートコミュニティのためにディベーターとして何ができるかとか、例えば自分の通っている学校のために生徒として何ができるかとか、そういったことは議論できなくなってしまいます。
「論題の『エネルギー』という単語は、人間が生きていく上で必要な活力を指す言葉だ。そして人間が朝起きてベッドから出て、苦境を生き抜くためのエネルギーは他でもない「家」=「ホーム」で作られるのだ。そうであるのなら、『エネルギー生産(energy production)』についての論題の下で我々は『ホームを作り出すこと(home production)』について話す必要がある」
否定側はROTBを「最も良い政策を提示した側に投票すること」と設定しました*42。
そして最終的には肯定側の主張も分かるし、否定側の政策も分かるという状態。
決められないのは当然です。自分の置かれている状況や役割を仮定しなければ答えは出ないのに、その仮定をするための根拠がないのです。
このような場合、ディベーターからフレームワーク(Framework, 略してFW)の議論が出されるべきです。
FWとは「ディベートをどのような場所として捉えるか」、「ディベートでは何がなされるべきなのか」といったディベートの在り方を争う議論のことです。
おそらくそういった方はこれまでクリティークと対戦をしたことがないのではないでしょうか。
既にお気づきかもしれませんが、ROTBやFWの議論をしたことがないというのは、単にあなたと試合相手が同一のROTBおよびFWを暗黙のうちに共有してきたからです。
つまり、両者の間で「ジャッジは政策決定者としてふるまい、メリット・デメリットの比較で論題の肯定および否定を判定すべきだ」というROTBおよびFWが同意されていたに過ぎないということです*48。
6. クリティークがきた!どうしよう!?~反論の仕方~
ここまではクリティークをいかに作り上げるかという観点でしたが、当然、クリティークへの反論の仕方も押さえておかなければなりません。セクション3,4,5で説明されたクリティークの構造をおさえてしまえば、反論の方法も意外と単純であることに気が付くはずです。
これもメリット・デメリット方式のディベートと同じで、難しい話ではありません。リンクがあるならリンクを切る、インパクトに対してターンをしてみるとか、意外と同じような話が出てきます。ではさっそく見ていきましょう!
6-1. その指摘は当てはまらないよ~リンクを外す~
6-2. むしろいいことだと言ってみよう~ターンアラウンド~
6-3. それじゃ何も変わらないよと言ってみよう~オルタナティブの無効化~
6-4. クリティークをクリティークしてみよう~カウンタークリティーク~
6-5. ROTBとフレームワークも議論しよう
そのためROTBやFWの議論が相手に出されたら、なるべく対抗するROTBやFWを提示することが望ましいです。
7. さあ試合で議論してみよう!!~実践編~
https://openev.debatecoaches.org/
https://opencaselist.paperlessdebate.com/
例えばクィアクリティークのオルタナティブを調べたいのなら、”queer alternative”と検索してみましょう。
http://debate.cards/
例えばアガンベンの難民に関する議論を基にしたクリティークの原稿を探すのであれば、”agamben kritik debate neg”とか、”Agamben kritik filetype:docx”とか検索してみれば見つかるでしょう。
論題が発表されたときに、論題のキーワードをもとにしてこのような原稿サーチをしてしまうのも、とっかかりをつかむための有効な手段です。
実際、この方法はかなりいいと個人的には思います。原稿を丸ごと読まずとも、クリティークの核となる哲学者の名前や思想の名前が分かれば最高です。あとは日本語でその関連書籍を読めばいいのですから。
7-2. フレームワークやROTBについて資料を用いて議論してみよう
フレームワークではディベートという活動そのものについて、ROTBでは審判の役割についてを議論しますが、フレームワークもROTBも資料がついているといいでしょう。書籍や一部の論文は有料のアクセスになってしまいますが、様々な文献が無料で読めるはずです。
通常のリサーチのように、検索エンジンに気になる単語を入れて検索してみましょう。
ディベートはみんなで政治について議論をする活動だからです。
こう考えれば、ディベートとはどういう場所であるべきかを考えるときに、「熟議民主主義」「討議民主主義」「公共空間」「政治的市民」といった概念などはキーワードとして浮かぶでしょう。
特に学生を対象とした大会であれば、ジャッジが教育者としての側面を持つことは否定できませんし、多くの場合は大会の目的も教育を見据えているのではないでしょうか。
実際、現代思想と教育とは結び付けられて語られることが多く、特にフェミニズムや新自由主義といった抑圧を議論する際に大きな役割を果たす思想体系については、教育現場にそれらを如何に良い形で取り込むかは盛んに議論されています*52。
実際の文献を読んだアメリカのディベーターが抜き出してきた部分だけを閲覧できるので、ポイントを掴むにはうってつけです。
7-3. 日米でクリティークの受け取られ方が違う?
日米におけるクリティークの受け取られ方の違いを説明します。これは2020年現時点の日本でクリティークを議論するうえで重要です。
例えば難民のクリティークも、「不適切な考え方に基づく議論が勝利したら、観客やディベーターはそのような考え方を受け入れてしまい、ゆくゆくは社会に悪影響を及ぼす。だから投票すべきでない」と論じればアクティビズム的になります。
このような日米の不一致は難民の議論に限らず、タイプ1(「相手の議論の内容について論じる」)のクリティークでは多く見られます。
例えば、現実に何らかの利益・不利益を引き起こす具体的な変化が求められる度合いが日本的な見方においては高くなるでしょう。
結果、日本的な「政策形成パラダイム」の下では、価値観や前提に異議を唱えるクリティークは「でも人を助けられるなら、価値観に反対している場合じゃないでしょ」とジャッジに言われがちです。
[次のセクションで一緒にまとめるよ]
7-4. 試合の前に、ジャッジの立場をはっきりさせよう!
前の部分で日米の「政策形成パラダイム」の違いを説明しましたが、それ以外でもクリティークに対する立場はジャッジによって異なります*57。
実際、筆者はかつてアクティビズムディベートをやり、ジャッジの方から「私はディベートが現実と完全分離された空間であるべきだと考えているので採れなかった」と言われて負けたことがあります。
7-5. 3要素を意識して議論・判定しよう!
3要素を意識して議論するだけでもクリティークの論理構造はとても明確になります。
7-6. リンクを分かりやすく伝えよう
クリティークにおけるリンクの議論は丁寧な説明が必要になることが多いです。
そのような議論に対して、そこに実は問題が潜んでいるのだと論じるリンクの議論は、直感に反していたり、少し込み入った話になったりすることが多いのです。そのため分かりやすく説明するのがよいでしょう。
例えば「経済成長しなければ国家は衰退してしまう*58」という相手の姿勢が問題であるのに「相手の資本主義的価値観を批判します」というと広すぎます。 または「経済成長を目指す姿勢を批判します」というのも少しズレているでしょう。
何を批判しているのかを正確に議論することで相手に逃げられることも防げるため、リンクの議論は少し正確さを心がけることがおすすめです。
・リンクの議論は反直感的であることが多いので、きちんと説明しよう
・批判対象を広げすぎず狭めすぎず正確に指摘しよう。そうすることで相手も逃げづらくなるはず
7-7. オルタナティブが何を議論しているのか明確にしよう
本稿ではオルタナティブを「代わりとなる考え方や行動」と説明しました。実はオルタナティブとカウンタープランは混同されることが多いです。
しかしオルタナティブは「考え方」などでもありうることからも、両者はやはり異なるわけです。
ここではその違いを説明しておきましょう。
「肯定側のプランからはデメリットが生じるから」
「カウンタープランでは生じるメリットを肯定側のプランでは拾いきれないから」
様々な理由があるでしょうが、いずれの理由も、問題の原因を肯定側のプランに見出しています。
それは代わりとなる考え方であったり、単に肯定側の考え方を受け入れないという選択であったりするはずです。
以上を踏まえると、オルタナティブがどのレベルを論じているのか、前提なのかアクションなのか言葉なのかは個別のクリティークにより異なるはずです。
肯定側立論:「プランは○○だ!」こういった状況をたまに見かけます。
否定側立論:「クリティークしよう。肯定側の価値観は間違っている。オルタナティブとして、△△という価値観を提示する」
肯定側質疑:「否定側はどのような政策や政治システムを支持していますか」
もしも判定の枠組みが「最もよい政策に投票する」と既に決められているのならまだしも*59、少なくともそういった枠組みを意識せずにこの質問をするのはナンセンスです。
また、オルタナティブとして「相手の価値観を受け入れず、投票しないこと」が提示された場合も同様です。
こういったクリティークはどのような政策がいいかということを議論していないのですから、「カウンタープランはなんですか」といった問いかけは無意味です。
これはセクション2-1や3でも引き合いに出した難民のクリティークを具体例として、以下の試合展開を仮定します。
肯定側立論:「難民認定の基準を緩和して、難民の命を助けよう」こういった状況も散見されます。
否定側立論:「肯定側の価値観は間違っている。そもそも「基準」という、命に線引きをするシステムを設けていることがおかしい。オルタナティブとして、誰も線引きされず、そこに生きて存在するならば無条件に守られなければならないと考えよう」
肯定側反論:「同時採択しよう。みんなが無条件に守られるべきだと考えつつ、プランはプランで導入しよう」
私:「痩せるために食事を抜こう」ここで誤解していただきたくないのは、同時採択という戦術それ自体が不可能なのではないということです。
あなた:「食事を抜いて痩せようという発想がおかしい。オルタナティブとして、どれだけでも好きに食べるべきだ、食事ではない他の手段で痩せるべきだと考えよう」
私:「では同時採択しよう。どれだけでも好きに食べるべきだし、食事ではない他の手段で痩せるべきだ。でも今回は食事を抜こう」
クリティークされた側は、オルタナティブの目指す世界や考え方が、自分たちのプランの延長線上にあることが示せればそれは同時採択できることになるでしょう。難民の例で言えば、「難民認定の基準を緩和していくことで境界線の無い世界を実現できる」といったことを論証できればいいわけです*62。
ダイエットの例で言えば、「一旦食事を抜いてある程度まで体重を落として初めて、好きに食べてもその体型を維持するというオルタナティブが可能になっていく」といった話をするのです。
・相手が議論しようとしているのは一体何なのか――政策なのか、価値観なのか、前提なのか、個人としてのアクションなのか、はたまた他のことなのかを意識しよう
・そして、オルタナティブが何に対してどうカウンターしているのかを意識してみよう
・レイヤーの違う2つのものについて同時採択を考える場合は、その2つが論理的に整合性を保っていなければならない
7-8. 相手の議論を積極的にkritik outする
ROTBを説明したセクション5-2で話したように、「クリティークの視点にたって議論を丸ごと棄却すること」を「議論をkritik outする」と呼びます。(原文)The alternative is rejection and we have not given the affirmative the right to turn this no into yes—the act of saying no is political labour that can not be diluted through the affs attempt to sever their own sexist actions and representations(意訳)オルタナティブは相手の議論を拒絶することです。この自分たちの"NO"を"YES"に変更する権利を、我々は肯定側に与えてはいません。
"NO"と口に出すことは政治的な行動です。肯定側が自分たちの性差別的な行動や表現から責任逃れしようとしても、私たちの"NO"の意味は揺らぎません。
・クリティークの価値観に則って、相手の議論をkritik outしよう
・permutationやtopicalityの議論に対してその内容の「正誤」を争うではなく、その内容や議論形式が持つ「思想的な意味合い」に着目してkritik outを仕掛けてみよう
8. おわりに
つい数年前までは「クリティークなんて立たないよ」と言われていたものです。それが今となっては試合でクリティークが出されるや否や、政策を議論することが大切だとかオルタナティブはなんだとか、そんな議論が両チームからたくさん出てくるようになり、審判もそれを慣れた顔で判定するようになってきました。徐々にではありますが、日本語ディベートコミュニティは変わっていっているのでしょう。9. クリティークについての参考文献
書籍
ブログ
その他のインターネット上の情報
redditのpolicy debateサブチャンネルでは、多くのディベーターが親切に質問に答えてくれます。筆者も何度かお世話になっています。海外ディベーターの友達も作れました!
*1:第23回(2018年)ディベート甲子園中学論題「日本はすべての飲食店に対して、店内での全面禁煙を義務付けるべきである。是か非か」における代表的な議論
*2:第22回(2019年)JDA秋季大会論題「日本は最低賃金を大幅に引き上げるべきである」における代表的な議論
*3:第22回(2017年)ディベート甲子園高校論題「日本は企業に対する正社員の解雇規制を緩和すべきである。是か非か」における代表的な議論
*4:生政治学と言われる学問分野や優生思想批判の文脈では、健康という概念が批判的に検証されています。例えば八木晃介「健康幻想(ヘルシズム)の社会学―社会の医療化と生命権」(http://www.arsvi.com/b2000/0810yk2.htmに一部内容が紹介されています)や高尾将幸「「健康」語りと日本社会:リスクと責任のポリティクス」を参照ください
*5:第22回(2019年)JDA秋季大会決勝戦において優勝した否定側が提出していた議論です。最低賃金による収入が生活保護の給付水準を下回るといういわゆる「逆転現象」に関するメディアの言説を分析し、問題提起をしていました
*6:政府による規制緩和や福祉切り捨てには「新自由主義」と呼ばれる思想が強く結び付いていることが指摘されています。「新自由主義」と検索して頂ければ詳しい解説は山のようにありますが、D.ハーヴェイ「新自由主義――その歴史的展開と現在」は非常に参考になります
*7:クリティークが盛んに提出されるアメリカでは「クリティークの体系的な解説を書くことなんてできない。書いてもすぐに新しいタイプのクリティークが出てくるんだ」と言う人もいます *8:かつては価値クリティーク、言語クリティークといった分類もありましたが、現在はほぼ使われません *9:クィアスタディーズという学問分野における「性別二元論」や「ヘテロノーマティヴィティ」という言葉がキーワードです。そのまま検索すれば多くの解説を見つけられますが、加藤秀一「はじめてのジェンダー論 」は入門に良いようです *10:G.アガンベンという哲学者の思想を中心に、このような議論の研究がされています。第20回(2017年)JDA秋季大会準決勝第二試合での否定側の議論が参考になります
https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2018/03/F20_SF2_TS.pdf *11:学問や科学のフレームワークの客観性には多くの論者が異議を唱えています。例えばS.ハーディング「科学と社会的不平等: フェミニズム,ポストコロニアリズムからの科学批判」は分かりやすい書籍の一つです。また、岸政彦らの「質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学」は社会学における個人の語りの重要性を丁寧に示してくれています *12:
ディベートにおける早口や専門用語の多用といった「ルールには明記されていない手続き的な部分」や、証拠資料の要件といった「中立的に見えるルール」が実際には排除を生んでいると論じた文献として、例えばEde Warner Jr.の” GO HOMERS, MAKEOVERS OR TAKEOVERS? A PRIVILEGE ANALYSIS OF DEBATE AS A GAMING SIMULATION”があります https://debate.uvm.edu/CADForumGaming2003.pdf また、言葉がいかに権力をはらみ、排除を生んでしまうのか。そしてそれにどう立ち向かうべきかを論じた非常に刺激的な書籍として、個人的にはこれはぜひとも読んでほしいです *13:アメリカの著名なディベート学者が論じています。興味のある方はこちらを参照してください。G. Mitchell ”Pedagogical possibilities for argumentative agency in academic debate” http://www.pitt.edu/~gordonm/JPubs/ArgAgency.pdf *14:アドボカシーという言葉には色々な意味がありますが、②のようなクリティークの文脈では「ある立場の人たち、特に弱い立場にある人たちの権利を主張するための意思表明」だと理解すればよいでしょう *15:NDTおよびCEDAは、アメリカ最大のアカデミックディベート2大会です *16:NDTおよびCEDAにおける、2012年から2013年の論題は下記のようでした。 *17:アメリカのアカデミックディベート大会では各チームが立論を公開するのが通例となっており、opencaselistというサイトで実際の原稿を年ごとに閲覧できます。下記リンク先の“home aff”が 2013NDTを制覇した1ACです
また、優勝したディベーターがどのような思いでこの議論をまわしたのかを語るpodcastもあります *18:こうしたkritik debateの実際の様子が、いくつかまとめられたyoutubeリストがあります。もちろん収録されている例がciritical affirmativeの全てではなく、あくまでも個別の実例が集まっているのみです。ただし注意点として、このリストの名前にもある「performance K」という呼び方は、近年批判されつつあり、その使用は得策ではありません
*19:例えば、齋藤純一は著書「公共性 (思考のフロンティア)」の中でこう述べます。「新しい価値の提起は、言説の政治という形をただちにとるとはかぎらない。それは「ディスプレイの政治」とよぶべき形をとることもある。つまり、価値観を異にする他者に対して訴えの言語、説得の言語をもって向き合うというよりもむしろ、別様の暮らし方の提示、別様のパフォーマンスの提示(障碍者演劇など)、別様の作品の提示といったスタイルをとる。そうした別様の世界の開示は、それを見聞きする者たちによって言説のレヴェルに翻訳されたり、それを倣るミメーシスの実践を触発していく」 *20:例えば、いとうせいこうが歌にのせて「平和自由宣言」を朗読していますが、これはある種の「政治的」なメッセージを持っているでしょう。実際の様子が下記で観られます
*21:ポストコロニアリズム理論や批判的言説分析(Critical Discourse Analysis)と呼ばれる学問が応用されています。例えば下記の論文は分かりやすいです。新妻絢「二項対立的言説に抗するエドワード・サイードのヒューマニズム的批判―2001年アメリカ同時多発テロ以降のアメリカ批判を通じて―」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaces1962/2006/45/2006_29/_pdf/-char/ja *22:例えば本文の冒頭で挙げた例のうち、最低賃金に関するものはここでのいずれの分類にも属さないと考えられます。また、第20回(2017年)JDA秋季大会の決勝戦では肯定側は「難民受け入れは国家の義務だから、メリット・デメリットに関わらずやらなければいけない」と論じています。これは具体的な政策の話をしているものの、メリット・デメリット方式から脱却しているため、やはりクリティークの一種だと言えるでしょう https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2018/03/F20_F_TS.pdf *23:疑問に思われた方は、「自分がなぜメリット・デメリットの議論をしているのか」ということもぜひ考えてみて下さい *24:本解説ではクリティークを簡潔に枠にはめて説明しますが、クリティークは既存の枠組みや定式化をすり抜ける可能性を常に秘めており、また、秘めているべきでしょう *25:オルタナティブは、メリット・デメリット方式のディベートで提案されるプランやカウンタープランのようにすぐさま結果に結びつく具体的な行動である必要はありません。クリティークの文献の中には、オルタナティブをカウンタープランのことだと説明するものがありますが、それは完全な間違いです。例えば、このあとすぐ紹介するアガンベンクリティークでは、オルタナティブは「生きる権利が無条件に保障される世界を目指す」ことです。オルタナティブの論じ方はセクション7-7で詳しく解説します *26:日本の無戸籍者の問題は例えばこちらを参照ください
*27:セクション2-2で説明したように、この議論は黒人のクィア2人から提出されています *28:実際問題としては、リンクの部分でディベート界や社会全体がどれほど差別的であるかを具体的に説明することになるはずなので、差別の深刻さ自体はそこで十分に伝わっているはずです。インパクトの部分では、ディベートという場における差別を一番に解決すべき理由など、差別抑圧への意味付けがなされてもよいでしょう。人命を救うメリットは何も重要性など説明されなくてもその大切さは分かりますよね。しかし多くの選手が重要性で日本政府の役割を論じ、メリットに特別な意味づけをしています。これと同じことです *29:このようなオルタナティブの議論は。セクション5-2で解説されているロール・オブ・ザ・バロット(ROTB)の概念をふまえれば、より分かりやすくなります *30:「本稿では」と断ったのは、アクティビズム的なディベートの日本語文献は未だほとんどなく、命名についてのコンセンサスが取れていないからです。アメリカのディベートコミュニティではこういった議論を”activism”という単語で指すことが多いように思えますので、今回は「アクティビズム的なディベート」と呼びます。なお”activism”という単語自体は元来「特定の思想に基づき実際に行動を起こす主義」を意味します。政治活動家のことをアクティビスト(activist)とも呼ぶことを思い出してください *31:アメリカディベートではROTBもしくはROBと略されることが一般的なので本稿もその表記に則ります *32:ディベートをどんな場所として捉えるかということには、セクション5-5で説明する「フレームワーク」という要素が強く関わります *33:1ACは下記リンク先の” Home Aff”で読めます *34:"performance debate"という人種中立的にみえるフレーズが実際は黒人ディベーターと結び付けられ、"debate"という単語と対比する形で用いられることで、人種抑圧を生んでいるという指摘が、2019年の論文でなされました。詳細を知りたい方はこちらを参照下さい Nick "The racial coding of performance debate: race, difference, and policy debate" https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/10511431.2019.1672028?af=R&journalCode=rafa20 *35:2014年CEDA準優勝チームの、ラップを取り入れた1ACを下記リンク先で観られます。英語ですが、自動字幕を付けるなどしつつ、ぜひ雰囲気だけでもよいので感じ取ってください
*36:ヒップホップの政治的な側面を学ぶ上で次のページは非常に参考になります。本当に興味深いのでぜひ読んでみて下さい。本城誠二「ヒップホップという亀裂」
また、ヒップホップの政治的な側面も含め、その歴史文化を紐解いた書籍として下記がおすすめです *37:伝統的なディベートの形式や方法がいかに抑圧を生むのかという議論の例はセクション2-2にありますので参照ください。もちろん、ここについては様々な研究者が議論を重ねており、アクティビズムディベートの問題を論じる学者もいます。Coverstone” An Inward Glance: A Response To Mitchell's Outward Activist Turn”
*38:この傾向は抑圧や差別が社会に理解されていないほど強くなるでしょう。こういった姿勢とは対照的な姿勢として、社会学者の岸政彦は著書「マンゴーと手榴弾」でこう述べます。「生活史を聞き取ることで私たちは、私たちの人生のもろもろが、ひとりだけの問題ではなく、社会的な問題であること、あるいはまた、社会的な問題は、それぞれひとりひとりの人生のなかで経験されることに気づく。私たちは、歴史と構造によって、私たちの人生の多くの部分を規定されてしまっている。そういう意味で私たちはひとりきりではない。そして私たちは、そうした歴史と構造のなかで、それぞれ固有の人生を送らなければならない。そういう意味で私たちはひとりきりである。」 *39:「語り(narrative)」はその重要性が多く研究されています。例えばこちらは語りが拓く社会運動の可能性を、不登校の問題などを通じて論じています。貴戸理恵「「当事者の語り」の理論化に向けて――現代日本の若者就労をめぐる議論から――」http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/31/kido2007.pdf *40:NDTおよびCEDAにおける、2012年から2013年の論題は下記のようでした。 *41:ここで紹介した実例は次のリンク先の「音楽を使ったdebate<Project of Louisville>」というチャプターで詳しく説明されています。比喩としての論題肯定やヒップホップを交えたディベートの観戦レポートであり、興味深いです。是澤克哉「2004年度日米交歓ディベート活動報告」 http://old.japan-debate-association.org/exchange/04r.htm *42:「抑圧に抵抗するROTB」を出されたときに「政策を選ぶROTB」を出すことが果たして戦略的に正しいのかという問いはここでは考えません *43:ディベートコミュニティにおける女性抑圧は、世界的に非常に議論されています。例えば米アカデミックディベートの女性ディべーターの状況が述べられています。Griffinら ” Women in High School Debate” https://web.archive.org/web/20060828232600/http://groups.wfu.edu/debate/MiscSites/DRGArticles/Griffin&Raider1989PunishmentPar.htm *44:ディベートコミュニティの女性抑圧を扱ったクリティークとして、次のリンク先の原稿が参考になります。セクション7-8でも紹介します http://justin-green-0hxl.squarespace.com/s/Feminism-K-Petra.docx *45:このようなFWの例としては、第20回(2017年)JDA秋季大会準決勝の否定側の第二立論を見てみましょう。「政策の結果をいくら正確に分析できたとしても、価値観や考え方が誤っていれば、悪い結果を引き起こす政策を選んでしまうだろう。政策分析は道具に過ぎないのだ」と説明して、ディベートを「政策の結果を比較する場所」から「価値観や考え方を検証する場所」に移行させています。実際のトランスクリプトはこちらです https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2018/03/F20_SF2_TS.pdf *46:ジャッジ全員が試合で出されたROTBやFWに則るとは限りません。ジャッジによって議論の評価が分かれるように、ROTBやFWもジャッジによって評価が異なります。ROTBやFWに納得しなかったジャッジは、自らのデフォルトのROTBやFWで判定を出すでしょう *47:立証責任があるとは言え、どの程度の立証責任が課されるかについてはジャッジによって異なります。クリティーク側とそうでない側に同等の立証責任を課すジャッジもいれば、クリティーク側に強い立証責任を求めるジャッジもいます。もちろん逆もあります。2020年時点の日本では、メリット・デメリット方式を初期状態とし、クリティーク側に比較的強い立証責任を求めるジャッジが多いように見えます *48:ディベート甲子園では、大会ルールの第4条第4,5項によりROTBとFWを定めていると解釈できます。ルールはこちらからみられます
*49:実際にジェンダーおよびセクシュアリティに関係するクリティークを実施したディベーターの解説が分かりやすいです。下リンク先の「1-2. 性別二元論 (gender binary)」の項を参照ください
*50:実際の原稿をこちらで見ることができます。Cap Kという部分にあたります http://open-evidence.s3-website-us-east-1.amazonaws.com/files/Debating_Race_7WK.doc *51:このクリティーク解説の中で紹介したいくつかの英語論文は、そこから実際の試合で資料が引用されるなどしている代表的な論文ばかりです。まずはここで紹介したものから読んでみていってもよいかもしれません *52:新自由主義と教育の関係を考察し、新自由主義に抗する教育を考えた書籍として佐貫浩「学力と新自由主義―「自己責任」から「共に生きる」学力へ」があります。なお新自由主義クリティークをするなら、新自由主義が政治空間を無力化することを論じた下記の書籍は外せないでしょう
*53:本当はROTBの論じ方も解説したいのですが、それだけで1つの記事が書けてしまうほどなので今回はなくなく省略致します。ただ、以下のサイトは非常に参考になります。ぜひ選手の方だけでなくジャッジの方もgoogle翻訳やdeep Lを使ってでも参照ください
*54:第20回(2017年)JDA秋季大会準決勝第二試合を参照ください https://japan-debate-association.org/wp-content/uploads/2018/03/F20_SF2_TS.pdf *55:アメリカでは、日本のディベート甲子園のような、政策をやるかやらないかジャッジが政策決定者のつもりで考える試合の仕方のことを”traditional policy”と呼んで”policy making paradigm”(「政策形成パラダイム」)とは区別します。この”traditional policy”を採っているジャッジはアメリカでは少数派です *56:アメリカでも1970〜1980年代頃までは日本的な政策形成パラダイム(“traditional policy”)が主流でしたが、様々な議論により移り変わりました。こういった変化を促した文献は日本ではほとんど参照されていないのが現状ですが、例えば次のようなものがあります。Gehrke ”Critique Arguments as Policy Analysis: Policy Debate Beyond the Rationalist Perspective” https://scholarcommons.sc.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1250&context=engl_facpub アメリカではジャッジのフィロソフィー(試合に対する考え方)が公開されており、"Tabroom"というサイトで見ることができます。 例えば「肯定側はアメリカ政府を主体とした政策を守る。否定側は現状維持かカウンタープランをやる。これ以外は認めない」と宣言しているジャッジは未だにいます。 John Katsulas; https://www.tabroom.com/index/paradigm.mhtml?judge_person_id=6542 一方で「論題を字義通り肯定しないクリティカルアファーマティブに対して、否定側がトピカリティを読んだら、私はスタバに行って帰ってきて肯定側に投票する」とかつて宣言していたジャッジもいます(現在はフィロソフィーを変更済み)。この人は本稿でも紹介した、 2013年NDT/CEDAにおける優勝チームのメンバーの一人です Elijah Smith; https://www.tabroom.com/index/paradigm.mhtml?judge_person_id=11733 *58:経済成長を避けては通れない目的だとする姿勢には多くの論者が異議を唱えています。例えばC.ダグラスラミス「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」は、経済成長を目指してやまない姿勢を環境問題、民主主義、戦争平和問題に結びつけて論じる興味深い書籍です。 佐伯啓思も著作の中で「経済成長至上主義」を批判しています *59:1NC直後のプランもクリティークも出ている段階で、判定の枠組みをこう決めるジャッジはそこまでいないとは思います。ただ、前述のように日本的な政策形成パラダイムが主流の2020年現時点では、それなりにいるかもわかりません *60:そもそも肯定側も含め、純粋なルールとしては、試合が始まった時点では誰もそんな責任を負っていません *61:ダートマス大学のディベートコーチScottがsecurity Kを例にとって、このパーミュテーションの話を説明してくれています。
なおsecurity Kとは、安全保障に関係する考え方に異議を申し立てるクリティークです。例えば、安全保障の問題は他のいかなることよりも無条件に優先されていると論じます(「アジアの平和を守るという安全保障の言い分によって、沖縄の海洋汚染や騒音被害が正当化されている」等)。 また、そもそも安全保障上の認識は全て社会が構築したものであり、そこに論理的な正当性はないのだということも論じられます。セクション2-4で紹介した「テロリスト」という言葉に対するクリティークはそれに近いでしょう。生じた出来事を「テロ」と呼んで初めて、それが国同士の衝突の文脈に位置づけられるのだと論じられるわけです。 興味のある方は、下のサイトを参考にしてみてください また実際の原稿はこちらから見れます http://open-evidence.s3-website-us-east-1.amazonaws.com/files/Security_K___Six_Week___ENDI_2010.doc *62:そしてこのようなパーミュテーションの対策として、クリティーク側も「国家というものは境界線を前提としたシステムだから、日本という国家が存在する限り、認定基準の緩和は境界線のない世界を実現できない」といった議論を用意しておくべきです *63:Soltの ” Demystifying the Critique”という論文の「クリティークの考え方を支持しつつプランは実行するというパーミュテーションがクリティークには有効だ」という主張が大きな誤解を招いています。あの論文は、どんな状況でもパーミュテーションができるとは決して言っていません。あの論文を引用したからといって、非論理的なパーミュテーションは認められるわけではありません。なおSoltの元論文は次のリンクより読めます
*64:文化盗用ともいわれるこの概念は下記の記事で分かりやすく解説されています
*65:セクション9で参考文献としても紹介している"Finding Your Voice"のチャプター"The 1AC"で例示されている"performance debate"は、このnormativity Kを取り扱っています。立論の流れが比較的詳しく書かれているのでおすすめです *66:こちらのブログで参照できます。ぜひ読んでみてください
Radiolab “Debatable”
また、実際のクリティークの原稿が英語版ですが入手できます。興味のある方は御覧ください http://open-evidence.s3-website-us-east-1.amazonaws.com/files/Terror_Talk_Kritik___Gonzaga.docx